fc2ブログ
 矢部宏治著「本土の人間は知らないが沖縄の人はみんな知っていること」を読んだ。本書は沖縄・米軍基地観光ガイドの形式をとって、在日米軍基地の専用施設の74%が、国土面積のわずか0.6%に過ぎない「沖縄県」に集中している実態を「目に見える形」でまとめるとともに、並行して国の根幹を歪ませている米軍基地の歴史的経緯を究明したものである。

戦後日本の政治体制の大枠は占領中に作られた。その本質は「アメリカが日本を支え、国家機能の代行をしていた」ところにあった。だがそれは「冷戦の間だけだった」。だから、冷戦後、日本は国家機能を喪失し、長きにわたって衰退をつづけているのだ。自民党という政党の一番の機能、存在理由とは、「日米安保体制を守り、運営することだった。

密約は、外務省や防衛省のエリートコースに乗った官僚たちにだけ、紙に書かれたメモとしてひそかに引き継がれている。そして何も知らない政治家が、首相や外務大臣、防衛大臣になったとたんに、官僚のトップから説明を受けびっくりする。密約は超エリート官僚だけの「秘伝」で、権力の源泉となって巨大な人事ヒエラルキーが生まれてしまっている。これが外務省や防衛省の幹部たちが首相の言う通り動けなくなっている最大の原因であろう。長期自民党政権で生まれた構造的問題で、何世代にもわたって続いているため、個人で変えることは不可能。

1979年、筑波大学の進藤栄一教授が、同年4月号の雑誌「世界」に「分割された領土」と題する論文を発表し、1947年、昭和天皇がマッカーサー司令部に対し、沖縄の半永久的な占領を求めるメッセージを側近を通じて伝えていたことを明らかにした。天皇は、沖縄に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借―25年ないし50年、あるいはそれ以上―の擬制(フィクション)に基づくべきであると考えている。(沖縄メッセージ)

1946年誕生した日本国憲法9条の理想(戦争・戦力放棄=人類の究極の夢)は続かず、共産主義勢力の拡大に対応してアメリカ政府は対日占領政策を大きく転換し、日本を「反共の砦」にしようと考えた。これがいわゆる「逆コース」の始まりである。1950年の朝鮮戦争勃発に対応し、マッカーサーは警察予備隊(後の自衛隊)の創設を命じた。占領下の突然の政策転換が、戦後の日本の安全保障論議を複雑にする大きな原因となっている。

関西学院大の豊下楢彦教授によれば、マッカーサーが夢見た「戦力を放棄した理想国家」のなかで、「国体護持」のための安保体制が新しい「国体」となった。つまり、「天皇を米軍が守る」という日米安保体制が、戦後日本の新しい国家権力構造になったということ。だから日本の右翼は親米・属米なのだ。そして自国に駐留している米軍については何も言わないし、言えないのである。本来最も愛国的であり、自主独立を唱えるべき右派勢力が、米軍の駐留を強く支持するというパラドックス。

「戦力放棄」「平和憲法」という理想を掲げながら、世界一の攻撃力を持つ米軍を駐留させ続けた戦後日本の矛盾は、すべて沖縄が軍事植民地となることで成立していたというわけだ。沖縄という同胞を切り捨て、ひたすら経済的繁栄を追い求めたことのツケが、まさに今問われようとしている。

アメリカ陸軍軍事情報部の「心理戦争課」が1942年6月、開戦からわずか半年後に作成した「ジャパン・プラン」という文書に、日本を占領したあとは「天皇を平和のシンボルとして利用する」という方針が書かれていた。さらに「現在の軍部政権が、天皇と皇室を含む日本全体を危険にさらしたことにすること」や「政府と民衆の間に分裂を作り出すため、天皇と軍部を切り離すこと」などが、プロパガンダの目標として設定された。

憲法9条は、成立当初は「国連憲章+沖縄の軍事基地化」と、1951年以降は日米安保条約と、最初からセットで存在しているもので、単独で議論することに意味はない。

ルース・ベネディクトの「菊と刀」は、アメリカの対日政策の一環として、CIAの前身の一つ「戦時情報局」が行った「対日心理戦争」の一部だった。ベネディクトは長期にわたって日本を米国に従属させるためには、日本文化の根底には言葉にできない、非アジア的な天皇中心の「文化パターン」がある、という考えを広めると効果があると結論付けた。日本が心理的にアジアと距離を置けば、決してアジアと共同歩調を取れないだろうし、アメリカに依存し続けるはずだと分析した。

2008年出版のティム・ワイナー著「CIA秘録」によれば、CIAは1950年代から60年代にかけて、自民党に数百万ドル援助しており、そもそも自民党というのは「岸がCIAに金を出してもらって作った政党」なのだ。岸はアメリカからの支援を見返りに、日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。
→<*要するに売国奴ということ。昭和天皇と吉田茂、岸信夫がこの国の形をいびつなものにした昭和の三悪人だ*>。

早稲田大の有馬哲夫によれば、日本テレビもCIAから金をもらって誕生したという。これは共産主義に対抗するためのアメリカの心理戦(情報戦)の一環として行われた。初代社長は読売新聞社主の正力松太郎で、CIAから「PODAM」というコードネーム(暗号名)までもらっていた。

アメリカ国務省は、1972年沖縄返還のすべての交渉過程を分析、検証し、報告書(「沖縄返還―省庁間のケーススタディ」)にまとめている。その結果、沖縄返還交渉は「アメリカ外交史上、まれにみる成功例」だと位置づけられている。その理由として、国防省のアメリカ側担当者だったハルペリン次官補代理は「沖縄だけでなく、日本全体の基地をより大規模に、タダで使えるようになったこと」だと語っている。

沖縄返還の当日に交わされた覚書によって、沖縄の基地のほとんどが「返還前と同じ」条件で使えることが合意されていた。さらに、日米地位協定・第2条4-bの「一時利用」を拡大解釈することで、自衛隊基地を恒常的に利用し、基地の運営経費を下げることにも成功している。

鳩山政権や細川政権のように、安全保障面でアメリカと距離をおこうとする首相が現れた時、いつでもその動きを封じ込むことのできる究極の脅し文句は、「北朝鮮が暴発して核攻撃の可能性が生じた時、両政府間の信頼関係が損なわれていれば、アメリカは核の傘を提供できなくなるが、それでもいいのか(=北朝鮮の核をぶちこまれたいのか)」という内容だと断言できる。

2009年11月、宜野湾市長・伊波洋一は議員会館で講演し、アメリカでは大規模な軍の再編計画が進んでおり、沖縄の海兵隊はほとんどグアムへ行くことが決まっているという事実を明らかにした。ブッシュ大統領時代に始まった「世界規模での米軍再編計画」のなかで、グアムに巨大な軍事基地を作る「統合軍事開発計画」が進んでおり、沖縄の海兵隊はほとんどそこへ行くことになっている。このグアムへの海兵隊の移転によって、日本を含むアジア・太平洋地域の抑止力は強化されることが日米政府間で確認されており、そのため日本は移転費用92億ドルのうち、60億ドルを出すことになっている・・・。

2011年5月にウィキリークスが暴露したアメリカの外交文書によると、鳩山政権の普天間返還交渉のなかで、防衛省と外務省の生えぬき官僚たちがアメリカのキャンベル国務次官補に対し、「(民主党政権の要望には)すぐに柔軟な姿勢を示さない方がいい」(高見沢・防衛政策局長)など、完全にアメリカ側に立った発言を繰り返していたことがわかっている。なぜそんなことが起こるのか。

その理由の一つは、米軍の存在自体が核抑止力と位置付けられているため、いつまでもいてもらわなければ困ると本気で思っているから。もう一つは、米軍の存在が現在の国家権力構造(国体)の基盤であることを、かれらがよくわかっているからだろう。戦後日本の国体[(天皇+米軍)+官僚]は、明治以来の「天皇の官吏」としての官僚たちの行動原理(絶対的権威のもと匿名で権利を行使する)にピタリとはまったわけだ。

昭和天皇亡き後、国家権力構造の中心にあるのは「昭和国体」から天皇を引いた「米軍・官僚共同体」。米軍の権威をバックに官僚が政治家の上に君臨し、しかも絶対に政治的責任を問われることはない。これが平成の新国体。その力の源泉は、彼ら外務官僚と法務官僚が「条約や法律を解釈する権限」を独占していることにある。

日米地位協定は、日本国憲法と日米安保条約という異質な法体系を、現実レベルで「接ぎ木」しているもので、その接点にある「日米合同委員会」は、日々密約を生み出している「密約製造マシーン」である。そしてこの委員会のOBたちが、日本の権力ヒエラルキーの中心に位置している。メンバーは、日本側が外務省北米局長を代表に、代表代理が法務省・防衛省・財務省・農水省・外務省の局長・参事官クラスで計5人。アメリカ側は、在日米軍副司令官を代表に、代表代理が在日米軍の高官(陸・海・空・海兵の副司令官・参謀長クラス)と在日大使館公使で計6人。

委員会の下に35の分科委員会や部会があり、2週間に1度のペースで会合を持っている。議事録と合意文書は作成されるが、それらは原則として公表されない。つまり、日本のエリート官僚と米軍の高官たちが、必ず月2回会って、密約を結んでいるということ。そしてその密約の中のあるものは検察や裁判所へ伝えられ、求刑や判決の結果を左右している。

「密約」というのは官僚の悪事や違法行為ではなく、国際法(=大国の圧力)との関係から生まれる外交上の技術に過ぎない。問題は、外国軍が条約に基づいて数万人規模で駐留し、最高裁がその問題について憲法判断を放棄しているという状況そのものにある。その結果として生じる、自国民の権利より外国軍の権利が優先するという植民地的状況を、なんとかアメリカに対等なふりをしてもらって見えなくしようとしたのが「密約」であり、文章をいじってごまかそうとしたのが「霞ヶ関文学」だということ。

日本国憲法と日米安保条約は表裏一体の関係にあり、現実は、外交と安全保障をカバーし、官僚機構を味方につけた日米安保・法体系(=国際法・法体系)の方が、憲法判断を放棄した日本国憲法・法体系よりも、実は上位なのだということ。それが1960年以降の日本の本当の姿なのである。さらに、我々国民が全く知らない間に、様々な共同宣言や合意文書によって、日米安保条約は完全に変質してしまっている。

「9.11同時多発テロ」を受けて、2002年9月にアメリカは「合衆国国家安全保障戦略」で「先制攻撃ドクトリン」を打ち出した。これは「自国の安全に対して脅威となるいかなる政府も打倒する、一方的な権利を持っていること」を宣言したものである。世界中の有識者から、この宣言が1648年のウェストファリア条約以来続いてきた、近代国際法の理念を破壊するものだと指摘されている。

2005年10月、国会の審議もなく当時の外務大臣・防衛庁長官がアメリカと交わした合意文書「日米同盟:未来のための変革と再編」によって、事実上そうしたアメリカの他国への一方的攻撃に協力することを約束してしまったのである。この合意によって、日本はアメリカの真の属国となり、「米軍の世界戦略の手ごまとして、世界反テロ戦争に投入されること」が決まったのである。

この合意文書の問題は、日米安保にはあった「国連の尊重」も「極東という地域の縛り」も、もはや存在せず、日本が中東をはじめとする世界中で、米軍の世界戦略と一体化して行動できるようになっていること。つまり完全に憲法違反の条約なのである。
アメリカは「国内では民主主義、国外では帝国主義」という2つの顔を持っている。ただし、アメリカの帝国主義は、領土を求める旧来型の帝国ではなく、米軍基地を置くことで世界を支配する新しい形の帝国(基地帝国)である。

今とるべきは太田元知事が提唱する「親米・反基地」の道である。日本にある米軍基地を縮小し、世界中の米軍基地に逆ドミノを起こす。その第一歩が沖縄のすべての海兵隊の撤退である。次に例えば2025年という期限を切って、国内すべての米軍基地を撤退させる。これを実現する方法は憲法改正である。「2025年以降、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても禁止される」。この一行を国会と国民投票で決議すれば、それで終わりである。

対米従属という点では、日本よりはるかに不利な状況にあったフィリピンが、1987年に制定した憲法に基づき、米軍基地の完全撤去を実現させている。フィリピンよりさらに条件の悪いバルト三国(ラトビア、リトアニア、エストニア)でさえ、独立してソ連の基地がなくなった後も国家として立派に存続している。NATOに正式加盟するまでの13年間、彼らは様々な恐怖に耐えながら、困難な局面を乗り切っていったのである。

だから日本にできないはずはない。足りないのはただ一つ、「勇気」だけ。この言葉はフィリピン上院を取り巻く新条約批准反対派のデモが掲げた、多くのプラカードに書かれていたという。

















管理者にだけ表示を許可する


| HOME |


Design by mi104c.
Copyright © 2023 個人出版コミュニティ, All rights reserved.