ダニエル・エルズバーグ著
「世界滅亡マシン」を読んだ。本書は、米国防総省とホワイトハウスで顧問を務めた著者が、当時知り得た極秘の核戦争計画の核心を半世紀を経て明かし、自らも深くかかわった米国の「世界滅亡装置」の本質を明るみに出す警告の書である。米国の核戦争計画とは第一撃の準備にほかならなかったが、その計画の目的そのものが幻想に過ぎなかったのだ。
「世界滅亡装置」とは「人員、兵器、電子機器、通信、組織、計画、訓練、規律、演習、そしてドクトリンからなる」巨大システムである。それがもたらす明白な実存的危険は、21世紀の現在、ますます高まっているが、本書はこの「装置」の解体という重い課題に取り組む道筋があることを示す希望の書でもある。
核戦争のための米国の「即時対応体制」について、公式の主要論拠として表明されてきたのは常に、ソ連/ロシアによる米国への侵略的な核第一撃を抑止する、あるいはそれに報復する必要が想定されるということだった。広く信じられてきたこの公式の論拠は意図的な誤りである。米国の戦略核戦力の本質、規模、そして態勢は、常に全く異なる目的の要件によって形成されてきた。それは、ソ連/ロシアが米国による第一撃を受けた後に報復を行った場合の米国内の被害を限定しようとするものだったのである。その狙いは米国の威嚇――米国による「先制使用」の威嚇――に、一層の信憑性を持たせることにある。
「第一撃」とは、超大国が敵の本土や海上にある戦略核戦力に対し長距離で各威力の高い「戦略」兵器を使って攻撃を開始することにより、敵の超大国をできる限り完全に武装解除し、その報復を阻止または限定しようとする全力規模の試みを指す。「先制使用」とは第一撃以外の核攻撃を開始するあらゆる可能性を指す。
米国が正当な承認を経て行う意図的な戦略攻撃については、一般市民の想像よりはるかに広範囲の出来事が引き金になるよう、システムが常に設計されてきた。さらに、米国の核戦力の発動権限を持つ手が大統領の手だけであることは一度もなく、大統領指揮下の最高位の軍事担当者に限られてさえいない。歴代大統領は、核攻撃を開始する権限を、ワシントンとの通信途絶や大統領の行動不能など様々な状況下で部下の戦略司令官に、戦略司令官は大統領の承認を得て、同等な危機状況の下で、自分たちの部下の司令官にこの権限を委譲していた。
同じことがソ連/ロシアについても言えた。ソビエトの指揮系統を「斬首」する米国の計画が公然と議論されたため、モスクワをはじめ司令部を破壊した米国の攻撃に対して確実に報復を行う「死者の手」と呼ばれる権限移譲のシステムが構築され、維持されることになった。これと同じ秘密裏の権限移譲がイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮など新しい核保有国を含むすべての核保有国に存在することはほとんど確実である。
戦略核戦力システムは、一般市民が(最高位の高官でさえも)これまで気づいていたよりもずっと多くの誤警報、事故、権限のない発進を引き起こしがちである。このシステムが危機のさなかに「ミス」ないし越権行為によって――あるいは核威嚇の意図的な実行によって――暴発し、世界のほとんどを道連れにする可能性を、超大国は常に不当なリスクとして世界の人々に押し付けてきた。
大惨事となりかねないこのような危険は一般市民から組織的に隠されてきた。米国が当時以来ずっと準備してきたような大規模な核戦争は、核の冬と核の飢饉によって地上の人間をほぼ一人残らず(その他の大型の生物種の大半もろとも)殺すことになる。
【世界滅亡装置を解体するための政策提言】
●米国の先制不使用政策
●核の冬の観点からした、米国の戦争計画についての厳密な調査公聴会
●米国のICBMの廃棄
●米国の第一撃戦力による、先制的被害限定という妄想の放棄
●この偽りを維持することに基づく、利益、仕事、同盟国に対する覇権の放棄
●その他の方法による、米国の世界滅亡装置の解体
こうした必要な変化の実現を阻んでいるのは、米国の一般市民の大半ではなく、軍事主義、米国の覇権、そして兵器生産・売却を、承知の上で支持している主要組織と両党のエリートと官僚だ。悲劇的なことに、破局的な気候変動を避けられるうちに、それに見合う規模で米国のエネルギー政策を転換する見通しについても、ニュースは同様に暗い。核政策とほとんど同じ組織とエリートたちが、生存に関わるこのもう一つの困難な課題の解決を頑強に阻んでいる。
それでも、ベルリンの壁の崩壊やソ連帝国の非暴力の解体、そして南アフリカでの多数派支配への移行――どれもわずか30年前には想像もつかないことだった――が示しているように、不正で危険な現状を維持しようとする勢力は、全能というわけではない。
キング「わたしたちは今日、まだ選択肢がある。非暴力によって共に生きるか、それとも暴力によって共に滅びるか」