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 三谷太一郎著「日本の近代とは何であったか」を読んだ。本書は、日本近代において国民国家を成り立たせる政治的求心力の形成が誰によって、なぜ、そしていかに行われたかに注目している。日本近代の特質は、1「議論による統治」としての議会制とその下での政党政治の成立、2自律的な経済的枠組みとしての資本主義の形成、3外延的拡大の結果としての帝国的枠組みの形成、4政治的枠組みであるのみならずそれ以上に精神的枠組みである天皇制の形成の4つである。私はその中で最も注目すべきは天皇制の形成であると考える。

日本は当時のヨーロッパ先進国をモデルとして、近代の歴史形成に着手した。しかし、それに到達する過程や方法は不明であり、ヨーロッパ化のモデルはなかった。日本のヨーロッパ化の先導者たちは、歴史的実体としてのヨーロッパを導入可能な諸機能の体系(システム)とみなし、制度や技術、機械その他の商品を通して、ヨーロッパ先進国が備えてた個々の機能を導入し、それを日本において作動させることによって日本のヨーロッパ化を図ろうとした。

明治国家形成にあたった政治指導者たちは、ヨーロッパにおいて様々な諸機能を統合する機能を担っているものを宗教=キリスト教に見出した。伊藤博文は1888年5月、枢密院における憲法案の審議の開始にあたって、憲法制定の大前提は「我国の機軸」を確定することにあり、ヨーロッパでキリスト教が果たしている「国家の機軸」としての機能を日本で果たしうるものを探し求めた。

伊藤は、仏教を含めて既存の日本の宗教の中にはヨーロッパにおけるキリスト教の機能を果たしうるものを見出すことはできず、神格化された天皇に「国家の機軸」を求めた。天皇制はヨーロッパにおけるキリスト教の「機能的等価物」とみなされた。その結果、天皇制はヨーロッパにおける立憲君主制以上の過重な負担を負わされることになった。つまり、天皇制は「聖職者」と「王」が一体化していた。

大日本帝国憲法上の天皇は定義上「立憲君主」であり、伊藤らが予定していた天皇の超立憲君主的性格を明確になしえていなかった。第三条の天皇の「神聖不可侵性」は天皇の非行動性を前提とし、法解釈上は天皇は神聖である、故に行動しない、故に政治的法律的責任を負わない、という以上の積極的意味をもたなかった。つまり、第一条に規定する統治の主体としての天皇と、第三条の天皇の「神聖不可侵性」とは、法理論的には成立しなかった。そこで憲法ではなく、憲法外で「神聖不可侵性」を体現する天皇の超立憲君主的性格を積極的に明示したのが「教育勅語」だった。

「教育勅語」の起草者は法制局長官の井上毅と侍講の元田永孚で、道徳の本源が「皇祖皇宗」に求められた結果、道徳は「皇祖皇宗」の「遺訓」として意味づけられる。そして現実の天皇は、いわば「先王の道」の祖述者の位置づけを与えられる。井上は、立憲主義との関係において教育勅語を天皇の政治上の命令と区別し、社会に対する天皇の著作の公表とみなした。しかし、憲法と教育勅語の矛盾、それと不可分の「政体」と「国体」との相克は日本の近代の恒常的な不安定要因であった。

















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