保阪正康著「昭和史のかたち」を読んだ。本書は、62年と2週間の時間枠を持つ昭和という時代の様々な事件や事象を「かたち(図形)」で表すことで、その仕組みを解明しようとしたものである。

まず、昭和を三つの時代に区分する。昭和元年から20年(1945)8月15日(太平洋戦争終結)までを昭和前期とする。これは日本の軍事主導体制が解体期を迎えたときと同義語である。この解体によって、アメリカを中心とする連合国の占領支配を受け国家主権を失った。占領期間は昭和27年(1952)4月28日まで6年8カ月続いた。これを昭和中期とする。そして独立を回復した昭和27年4月28日から64年(1989)1月7日までを昭和後期とする。

上記三つの期間を抱える昭和を図式化すると三角錐が適切である。三つの側面がそれぞれ前期、中期、後期に対応し、各期を代表する総理大臣を挙げれば、前期が東条英機、中期が吉田茂、後期が田中角栄となる。そして三角錐の見えざる部分である底面は、アメリカまたは天皇が想定される。

昭和のファシズムあるいは超国家主義は、正方形にたとえられる。その4辺は「情報の一元化」、「教育の国家主義化」、「弾圧立法の制定と拡大解釈」、「官民挙げての暴力」である。ファシズムの権力機構は、この正方形の枠内に国民を閉じ込め、国策への批判なき随伴者であることのみを国民に要求する。また、国民の反発が不安なため、4辺をさらに小さくして正方形の面積をより狭くしようとする。

大日本帝国憲法における天皇の統治権と統帥権の関係は、正三角形の形で表される。頂点に天皇を位置づけ、底辺2点に統帥権と統治権を据える。統治権とは行政、立法、司法の三権を指し、政治的行為についての権限をいう。統帥権は、軍隊の編成、戦略、戦時の作戦行動など、軍事的行為の枠組みについての権限をいう。
当時、統治権は政府が、統帥権は大本営が担っていたが、統帥権側が次第に上がっていき、天皇により近づいていって統治権側を抑圧するようになり、バランスが崩れていき、ついには「統帥権の独立」の名分のもとに、天皇よりも上位に立つという形を創っていった。つまり、天皇と統帥権の位置が入れ替わっていった。

昭和の軍事主導体制は官僚のプログラムによって進んだのであり、官僚に操られる形で国民の情熱や心理が予定通り動いたことになる。ファシズム体制とはこの束ねられた秩序ということになるが、これを図形化すると「球」が適切に思える。この「球」は、ひとたび坂の上に載せるなら何もせずとも転がっていき、加速して真っ逆さまに落ちていく。
戦争という国策を選択したのは、議会でも国民でもなく軍官僚とその一派だった。大本営政府連絡会議が決定し、それを御前会議が追認するという形での決定であった。


 筆者は、「おわりに」で「戦後70年の節目に、無自覚な指導者により戦後民主主義体制の骨組みが崩れようとしている」と書いているが、まさにその通りのことが現在進行中である。無自覚な国民が復古国家主義体制への回帰を推進する政権に追従していけば、遅からず本書でいうところの正方形や球の形の社会になっていくことは自明のことであろう。

















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