S.I.ハヤカワ著「思考と行動における言語」を読んだ。本書は一般意味論の古典的名著である。一般意味論とは、「言語その他の記号に対する人間の反応の研究であり、記号のシゲキをもって、またそれを受けての人間の行動の研究である」と定義されている。本書では、われわれが普通無意識に使用している言語について鋭い知的洞察をもってその邪用・誤用を戒め、言語・記号の束縛による思考・行動の誤りから人々を開放し、それによって社会・国際間の無用の緊張を除き、同時に個人の生き方に知的判断力を回復させようとしている。

人は、意味論的環境の複雑さに惑乱させられないようにしようと思うなら、記号の、ことにコトバの力と限界について体系的に知っていなければならない。記号を律する第一の原則は、つぎのとおりである。
 ●記号は物そのものではない。
 ●コトバは物ではない。
 ●地図は現地そのものではない。

知識を交換するための基礎的な記号的活動は、われわれが見たり・聞いたり・感知したりしたことの報告である。報告は次の規則に従う必要がある。
第一に、それが実証可能でなければならない。第二に、できるだけ、推論と断定を排除しなければならない。推論は知られていることを基礎に知られていないことについて述べることである。断定は、書き手が述べている出来事、人物事物について自分の賛成・不賛成を言い表すことである。

われわれの経験の「対象」は「物自体」ではなくて、われわれの神経系(不完全なもの)とその外側の何かとの相互作用である。そして、抽象のハシゴを登っていく過程で「対象」の諸特性を落としていく。

価値判断の諸問題に直接に適用される代表的ルールは「牝牛1は牝牛2ではなく、牝牛2は牝牛3ではない・・・・・・。これは、外在的考え方の規則のもっとも単純なもっとも一般的なものである。「牝牛」という語は、われわれに情報的・感化的両様の内在的意味を与える。すなわち、この語は、われわれの心にこの「牝牛」が他の「牝牛」と共通に持っている特色を呼び起こす。しかし、見出し番号は、これはどこか違うものであるということを思い出させる。「牝牛」という語がその物について「すべて」を語っているものではないということを思い出させる。それは抽象の過程で落とされた特性を思い出させ、語と物を同一視することを防ぐ。すなわち、抽象の「牝牛」と外在的牝牛とを混同することを防ぐ。

















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