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 海渡雄一・前田哲男著「何のための秘密保全法か」を読んだ。昨年12月6日、国民の敵「自民党・公明党」の強行採決で成立した憲法違反の「秘密法」は、今突然出てきたのではなく、2006年頃の自民党政権から継続されてきた動きの表面化であるということだ。本書は、「秘密法」に至る秘密保護法制の歴史と背景を展望するとともに、その本質と狙いを暴き、危険性を警告したものである。

2 「秘密保全法」にいたる系譜
 歴史軸で見ると最初の「秘密保護法制研究」は、1965年に国会審議で暴露された自衛隊の戦争計画「三矢研究」であろう。朝鮮戦争の再発を想定し、自衛隊の対応を机上演習したもので、「防衛司法制度の確立」(自衛隊による裁判制度)、「警務官の権限強化(秘密事項に関し)」、「国防秘密の保護」などの措置が「非常事態諸法令」として成立と設定した。モデルには「大東亜戦争間の法律」(国防保安法や軍機保護法など)が参照された。
1978年、改訂日米安保条約(1960年)により、「防衛ガイドライン」が採択され、福田内閣が「有事研究」に着手した。防衛庁内局では、参事官会議を中心に「国家防衛秘密保護法」の研究が行われた。もともと自民党タカ派には、明治憲法に回帰しようとする国権優位的な改憲志向が根強くあり、国家防衛のために「秘密保護法」を制定すべきとの主張が声高になされていた。1980年1月の「宮永スパイ事件」を契機に「国家秘密法案」を国会に上程する気運が公然化して「第一次案」が作られ、1982年には対象を一般人の単純漏示にも拡大した「第二次案」が作成された。しかし両案とも当時の首相(大平、鈴木)が難色を示したため、国会提出には至らなかった。

 1984年8月、中曽根内閣は「国家秘密等に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」を発表し、秘密の定義を拡大して、対象に外交秘密も加えるとともに、罰則に死刑、無期懲役を導入した。情報を入手しようとする行為が「探知・収集」とみなされ、それが不当な方法と認定されると、死刑を含む厳罰が適用される。報道機関も例外ではない。単純漏示も処罰される。これに対しては広範な反対運動が起こり、廃案を求める世論が全国に拡がった。「国家秘密法案」の審議は衆議院内閣委員会にかけられたが、全野党の反対、全メディアの批判により、継続審議のあと最終的に廃案となった。(1987年)

 2001年9月、小泉内閣は「テロ特措法」制定に便乗して自衛隊法を改正し、「国家秘密法」の「防衛のための態勢等に関する事項」をそのまま取り込み、それを自衛隊法第96条の2に「防衛秘密」として新設・付加した。これにより重罰化と自衛隊隊員以外への処罰対象者の拡大が図られた。すると、のこる「外交情報」と「公共の安全及び秩序の維持」を「秘密保全法」で包含すれば、「国家秘密法」のほぼ完全な復活となる。
以上、「秘密保全法」にいたる系譜からは、古くて新しい問題=憲法の基本原理(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)を覆そうとする改憲勢力の意図が浮かび上がってくる。1984年「国家秘密法案」の提出者には、谷垣禎一、賛成者には石原慎太郎、高村正彦、森喜郎、平沼赳夫、小泉純一郎がいる。

















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