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 川本兼著「日本生まれの正義論」を読みました。副題が「サンデル正義論に欠けているもの」となっています。即ち、サンデル正義論は、日本国民があまりにも深刻な戦争体験を通じて得た戦争と平和に対する感覚を生かした正義論になっていないという指摘です。戦争と平和の問題をも含んだ正義論には、人権概念の拡大や普遍化、さらには人間の尊厳の普遍化の視点が必要だが、サンデル正義論にはそれが欠けている。それは戦勝体験しかないアメリカの社会状況を背景にした正義論でしかないからということです。

 日本国民の戦後の感覚とは、「戦争の不在」にとどまらず「戦争そのもの」を否定し、さらに「戦争ができる国家」をも否定した平和の価値観であり、交戦権を否認し戦力不保持を謳う「平和憲法」を歓迎したことに端的に示されているということです。しかし、戦後の感覚は、それを実現するための言葉=普遍的原理を持たなかったため、戦争体験の風化作用が進行し、戦前の日本への回帰を思わせるような方向へと歩んでいます。

 人間の尊厳は、最終的には政治や法の世界で保証されない限り保証されない。政治や法の世界で人間の尊厳を表す言葉は基本的人権であり、人権概念は「戦争そのもの」「戦争ができる国家」を否定できる程度に、さらに人間の尊厳が人間生活のあらゆる領域およびあらゆる人間関係の中で侵されなくなる程度にまで普遍化されなければならない。

 社会主義と護憲を主張する革新勢力は、ソ連の崩壊と戦争体験の風化作用により衰退し、それが日本における逆方向への豹変をもたらし、そのことが革新勢力の衰退を招く。日本人は権威の所在とその変化に敏感で、新たな権威が生まれるとその方向へと豹変し、新たな権威が生まれていない状態で現在の権威が失われると、それ以前にあった権威の方向へと「逆戻りの豹変」をするという危険な特性を有する。

 以上の考察から著者は、新しい革新勢力を結集して日本国民の戦後の「感覚」から生まれた思想を広めなくてはならず、新革新勢力の中心は、権威主義を克服した護憲論者であり、いつかは独自の政党を結成しなくてはならないと主張しています。そして、著者の論考に基づく現時点での「日本国憲法改正私案」を提示しています。

ただ、社会的な実現手段を、現在の間接民主制の枠内にある政党結成や選挙に求めており、新味に乏しく実現しても新しく政党が一つ増えるだけで、国民の声が本当に反映されるようになるとは思えません。数年に一回の選挙で投票するだけでは、国民の意志が政治に反映されるという実感がありません。

















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 川本兼著「日本生まれの正義論」を読みました。副題が「サンデル正義論に欠けているもの」となっていま まっとめBLOG速報【2012/10/24 23:29】
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