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SF短編集の原稿第13弾です。原稿に対するご感想をお寄せ下さい。

「耐性生物」・・・・・・・・・・・十合ヒロシ
 会社を終えて帰宅した森山深造は、いつものように温調付き空気浄化機のスイッチを入れ、浄化完了のチャイムを聞いてから防毒マスクと手袋を脱いでロッカーに収めた。浴室の浄水器バルブを開いてシャワーを浴び、うがいを済ますとリビングキッチンのソファに座りメディアセンターを起動した。初期画面はTVに設定しており、画面にはニュースが流れていた。今日は大気汚染警報が出されていて、各地で光化学スモッグが発生しているという。出生率は、政府の様々な支援策にもかかわらずじりじりと下がり続けており、10年後には人口が半減すると予測されている。

「ただいま!」玄関口で足音がして、パートナーが帰ってきたようだ。シャワーを済ませて部屋に入ってきた。
「今日は会社の帰りにスーパーで買い物してたから遅くなったわ。晩ご飯はお寿司を買ってきたので一緒に食べましょう。近頃は魚も少なくなってずいぶん値上がりしてるみたいよ、肉や野菜もそうなんだから暮らしにくくなるわね」
「うん、大気や水の汚染が進んで生態系が破壊されてるからなぁ。今までの遺伝子改良だけじゃ対処できなくて、動植物に新しい人工遺伝子を組み込んでるらしいよ。これがどんどんエスカレートしたら、わたしらはともかく次の世代は大丈夫なんだろうか?」
「そう言えば出産前遺伝子検査の不合格率が急増していて、出生率の低下を食い止めるためにも受精卵の遺伝子改良を認めるべきだっていう意見が、ネットのアンケート調査で大勢を占めたそうよ。怖いわね」
「それって、政府の諮問機関が主催したやつだろう。民間のシンクタンクが主催した別の調査では、全く逆の結果になってるよ。欠陥遺伝子を正常化するだけならいいけど、こういったことはえてしてエスカレートしていくものだから、きちんと歯止めをかけられるようにしておかないと危ないよ」
「そうよね、でも誰がやってくれるのかしら。政府?それとも医師会?」
「これまでの流れから見ると期待薄だな。生命倫理の議論はいつも現実に追いついていないからね」

 車や家電品、IT機器などの工業製品が年々安くなるのに反して、食料品は値上がりする一方であった。大気と水の汚染に土壌汚染も加わって、農産物、畜産物、海産物の収穫量が激減しているのが原因とされている。これまで様々な環境対策が取られてきたが、進行を遅らせるのが精一杯で、破壊された環境を元に戻すことはできなかったのである。一部の環境保護団体は、人間の生活様式を根本的に変えない限り復元不可能と主張していた。政府は、各生産物の収穫量の増大対策として、新規開発の各種人工遺伝子を動植物に全面的に導入し、劣悪な環境でも生き残れる耐性動植物を生み出すことにした。これによって収穫量の激減に歯止めがかかり、やがて各生産物が安定して供給されるようになった頃、吸収不良症候群と呼ばれる病例が多発する兆しが見られたのである。

 今朝は、昨夜来の下痢が治まらず吐き気がする上に、熱があるのか頭がクラクラして起きあがるのもやっとの有様であった。森山は、洗面所で歯を磨きながらどうしたものかと思い悩んでいた。今、会社では発電設備の事故対策でてんてこ舞いしており、みんなの目を意識すると休みづらいのである。一方、ここ数週間にわたる神経がすり減るような対策業務から逃れて休む口実ができたという思いもあった。どちらとも決めかねてぐずぐずしていたが、ついに休みたい気持ちの方が勝って会社に電話し、体調不良のため今日は休むと連絡した。食欲がなく、ネットを見る気にもならずベッドで寝ころんでいたが、これまで経験したことのない症状に不安を覚え、病院で診察してもらおうと思い立った。

 国立総合医療センターでは、全国的に拡大しつつある吸収不良症候群の原因究明と対策の立案に追われていた。病例は古くから知られているもので、原因も各種栄養を吸収するシステムに障害が起こり、栄養素を正しく吸収することができないためとされているが、吸収システムに障害を起こす因子が特定できないのだ。従来知られている因子としては、栄養の吸収に必須の酵素を先天的に持っていないとか、膵臓の病気、腸の炎症、胃や腸の切除手術などがあるが、いずれも全国的な病例の拡大を説明できないのである。新種の感染性細菌やウィルスも見つからず、医療現場では不足栄養の症例に応じた必須酵素の注入や、不足栄養素の点滴補給などの対症療法を続けるしかなかった。

「栄養素代謝グループで注目すべき実験結果が出たそうなんで報告してもらう。皆でよく内容を検討してくれ」対策本部長が口火を切った。
「各種食品成分の経口投与試験を生体で行っても吸収不良の原因究明はできないので、小腸の機能を発現しているヒト腸管由来の細胞に様々な食品成分を加え、細胞機能の変化を調べました。その結果、ある種のプリオン蛋白が栄養素の輸送を司るトランスポーターの機能を抑制することがわかりました」
「使用した培養細胞が、小腸機能を正しく発現していると立証されていますか?」
「透過性の膜の上に培養すると自然に単層を形成し、小腸機能である細胞間タイト結合の形成や、ブラシボーダー膜酵素、各種トランスポーター、結合タンパク質、レセプタータンパク質などの活性が現われました。実際の小腸細胞のかなり良いモデルと考えます」
「そのプリオン蛋白は、どのような代謝プロセスで生じたのか判明していますか?」
「代謝ではなく、食品成分に最初から含まれているのです。含有量は、人工遺伝子を導入した耐性動植物由来の食品で顕著です」
「しかし、耐性動植物の利用は数年前からで、その頃こんな問題は起きてないんだから、それが原因とは思えません」
「昔の自然食品ではトランスポーターの機能抑制がないことを実証しましたので、人工遺伝子が関係していることは間違いありません。時間的なずれの原因については、今後詰めていきたいと考えます」
「すると、対策は細胞のトランスポーター機能を遺伝子改良して、プリオン蛋白に対する耐性を持たせることだな」対策部長は深くうなずいた。

 吸収不良症候群は人工遺伝子による細胞機能の改良によって解決された。その威力を目の当たりにして、大気や水が汚染された劣悪な環境に対しても、空気浄化機や浄水器なしで生き残れるような耐性人間を生み出すことで対応できる、という考え方が生まれ拡がっていった。ライフサイエンスの発展により、人工遺伝子の生成および生体導入は容易となり、環境浄化機器の購入より安価になったことも流れを後押ししたのである。

 会社を終えて帰宅した森山は、リビングキッチンのソファに座りメディアセンターを起動した。耐性化処置を受けた今では、環境浄化機器は必要としない。有害な化学物質や重金属類も、細胞が処理して体表突起から放出してくれる。画面に流れるTVニュースによると、環境破壊や乱開発による生態系の破壊が加速して、約2千万種の生物の内4分の3がすでに絶滅し、毎日5万種が今も絶滅し続けている。一方、劣悪な環境下でも繁殖する変異生物が出現しているという。いつの日にか、人工遺伝子を導入した耐性動植物、あるいはウィルス感染によってその遺伝子が組み込まれた生物だけの世界になるのかも知れない。

「ただいま!」玄関口で足音がして、パートナーが帰ってきたようだ。部屋に入ってくるなり投げ出すように荷物を置きながら言った。
「この頃は買い物も大変なの!どこの店も品数が少なくて大勢が押しかけるから取り合いになるのよ。4,5軒回らないと必要なものがそろわない。今日はサービスデーだから余計に大変だったわ。生鮮食品はどれも稀少品扱いで、金持ちでなければとても手が出ない。形と味を真似たもどき食品がせいぜいよ」
「いずれ自然食品なんてものはなくなって、すべて工場で作る人工食品に置き換わっていくんだろうな。ところで、病院の検査はどうだったの?」
「ダメだったの。遺伝子欠陥がいくつかあって不合格だって。受精卵の遺伝子改良が必要だって。環境耐性機能を発現する人工遺伝子の導入も進められたわ」
「欠陥遺伝子の正常化だけでいいんじゃないの?」
「医者は受精卵の段階でやるほうが安全確実で費用も少なくて済むって言うのよ。わたしも初めは気が進まなかったんだけど、生まれてくる子が私達と同じ遺伝形質を持っている方が旨くいくような気がして、やってもらうことにしたの」
パートナーは、小さな体表突起にびっしりと覆われた顔を向けて、森山の目をのぞき込むようにしながら低い声でつぶやいた。森山は鱗状の体表突起に覆われた腕を伸ばして、パートナーの手をしっかりと握った。

















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