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 SF短編集の原稿第10弾です。原稿に対するご感想をお寄せ下さい。

「太陽ニュートリノ」・・・・・・・・・・・十合ヒロシ
 21世紀末、世界各国は食糧とエネルギーの確保にやっきとなり、それに伴って克服されたはずの民族意識が復興し、局地紛争が頻発していた。さらに困ったことに原因不明の異常気象が多発し、食糧生産地帯に冷害や干ばつによる甚大な被害をもたらした。これらの切迫した課題への対応に追われて、巨額の費用負担を強いられる宇宙開発は縮小され、月と火星に設置された小規模の植民地を維持するのが精一杯であった。太陽系外の探査は行われなくなり、人類は内に引きこもって細々と生き延びていた。

奥飛騨にある神臥鉱山の坑内、地下2000メートルの地底には、巨大な太陽ニュートリノ観測装置が設置されていた。直径、高さともに約100メートルの水槽に50万トンの純水が蓄えられ、直径100センチメートルの光電子増倍管が5万本以上取り付けられている。ニュートリノによって跳ね飛ばされた水中の電子が放射するチェレンコフ光を光電子増倍管で捉え、事象の発生数と電子のエネルギレベル及び反跳角度の関係から、太陽ニュートリノのフラックスを観測するのである。まさに地底から太陽を見る巨大な目であった。

神丘光一は、火傷しそうな程熱いブラックコーヒーを一口すすっては満足げに煙草をふかす動作を繰り返しながら、ぼんやりと机上のモニターを眺めていた。観測室の壁には禁煙の札が貼ってあったが、ここにはだれも咎める者はいなかった。観測機器の点検修理の時以外、光一が潜むここ地下2000メートルの太陽ニュートリノ観測室まで下りてくる物好きはいない。観測室は自分の心臓の鼓動が聞こえてくるような気がする程の静けさに満たされていた。騒音過敏症の光一はこの静けさがたまらなく好きであった。

ここに来てもう10年になるが、月に一度地上の観測所本館へ月間報告のために30分程顔を出すときを除いてここを離れたことはない。電気や水道は自由に使えるし、食糧、衣類等の必需品は本館からエアーシューターで支給される。キッチン器具や照明、粗末ではあるが風呂まで備えられていて、優雅なシェルターの趣があった。本館事務所の連中が自分のことを太陽モグラと呼んでいるのは知っていたが、光一はまったく気にならなかった。

観測の仕事はデータ採取から計算処理、結果の出力、電送、保存まですべてコンピュータ制御でなされており、光一がやることは殆どなかった。せいぜい観測機器の故障か異常データの発見くらいしかなく、そんなことはめったに起こらなかった。先月の定期報告で本館事務所に出向いたとき、所長から各地の観測所の最新データも加えて、100年後までのニュートリノの経時変化を予測せよとの指示を受けていた。

今、光一が眺めているモニターには過去100年からの太陽ニュートリノ変動が、青い理論曲線と赤い観測曲線で表示されており、現在時点の位置でカーソルが点滅していた。しばらくするとカーソルが右に移動し、赤と青の点を新しくプロットした。これまでの観測値を単純外挿すると、100年後には理論値の30%以下になる。それは全地球が凍結してスノーボール化することを意味するが、本当にニュートリノフラックスがそんなに低下するかどうかは分からない。40年前に光一は、理論値と観測値のずれを検証し、標準太陽模型の欠陥を指摘していたが、誰も関心を寄せなかった。そこで、ニュートリノの共鳴振動特性を組み入れた非標準太陽模型を提案したのであるが、それでも観測値との差は10%程度縮まっただけであった。何か決定的な要因を見逃しているのだろう。

地球凍結は光一に何の関心も呼び起こさなかった。髪に白いものが目立つようになった光一にとって、100年後の未来というのは現実感が欠如していた。いや、それ以前に今、この観測所のすべてが、光一にとっては厚いヴェールを透かして見る非現実的な風景にすぎず、地下2000メートルの地底の静寂だけが、唯一リアルなものであった。照明を消してベッドに横たわっているとき、深い静寂の中でニュートリノが自分の体を貫通するのを感じることができたし、間近に太陽中心の核反応の鼓動を聞くことができるのであった。コンピュータのデータ処理結果を見なくても、貫通ニュートリノが段々少なくなってきていること、太陽中心の核反応の鼓動が乱れてきていることは以前からわかっていた。
「あれは暗黒物質が太陽の陽子を食ってしまうんで、核反応がエンストするんじゃないのかな?……」光一はぶつぶつと独り言をつぶやいた。

山積する重要課題を抱え、次々に派生する事象の対応に日々追いまくられている各国政府は、世界科学者会議の報告「地球凍結の予測と提言」の重要性は認識したものの、提案された計画を実行に移そうとはしなかった。なにしろ100年も先の話であり、目前の課題に比して現実感がなかったのである。かくして、地球凍結の原因究明と対応策の検討は、科学者団体及びそれに協賛する特定機関に任されたまま、ズルズルと時が経過していった。日々の暮らしに追われる一般市民は、マスメディアを通じて時折、研究の進捗状況を垣間見ることはあっても、どこか遠くの出来事のようで現実感が湧いてこないのであった。

しかし、翌年の夏真っ盛りの8月初旬に、北半球各地をみまった豪雪被害は人々の日常感覚を粉砕し、地球凍結の恐怖をまざまざと予感させる役割をはたした。各国政府の要請を受けて、国連は地球凍結に関する緊急総会を開催、地球凍結解析・対策機関POEFの設置を議決し、実施項目とスケジュールを策定した。こうして人類存続をかけたサバイバルゲームが開始された。

『かくして存続の危機を梃子として、人類は生命のゆりかごである地球から脱出し、10.4光年離れたここエリダヌス座イプシロン星系にレベル1の文明世界を築いたのである。そして・・・』。宇宙考古学者タウは、橙色の手を情報端末に伸ばして読みかけの「宇宙文明史」をオフにすると、まもなく地球調査に飛び立つ予定の恒星船に乗り込むために、ゲートに向けて歩き出した。

















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