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 エーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」を読んだ。本書は、現代の文化的社会的危機に対して決定的な意味を持つ一つの側面、即ち近代人にとっての自由の意味について、心理学的考察を加えたものである。

近代人は、個人に安定を与えると同時に束縛していた前近代的社会の絆からは自由になったが、個人的自我の実現、即ち個人の知的な、感情的な、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得していない。自由は近代人に独立と合理性を与えたが、一方個人を孤独に陥れ、そのため個人を不安な無力なものにした。

この孤独は耐え難いものである。彼は自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めるか、あるいは人間の独自性と個性に基づいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる。本書は診断・分析であるが我々の行為の進路に一つの方向を与えている。なぜなら、全体主義がなぜ自由から逃避しようとするのかを理解することが、全体主義的な力を征服しようとするすべての行為の前提であるから。

現代における自由の問題は、単に巨大な機械主義社会や政治的全体主義の圧力などによって、個人の自由が脅かされているということだけではなくて、一方では人々が求めてやまないはずの、価値としての自由が、他方では、人々がそこから逃れ出たいと望むような呪詛となりうるところにある。

歴史を動かす力は、社会経済的条件、イデオロギー、社会的性格である。有力な要因としてマルクスは社会経済的なものを、ウェーバーはイデオロギー的なものを、フロイトは人間の奥深い根源的な衝動を重視した。フロムは社会経済的要因とイデオロギーとならんで、歴史において演ずる社会的性格の役割に注意を喚起した。

ルネッサンスおよび宗教改革以来、人間を従来の束縛から解放してきた自由の原理と、人間に孤独感と無力感を与える否定的な側面とが絡み合っている。その結果人間は、自由の重荷に耐えかねて、積極的にナチズムのような全体主義イデオロギーを希求することさえ、あえてするようになる。それゆえ自由が重荷となるようなところでは、それがデモクラシー社会においてであっても、ナチズムやファッシズムの心理的な温床は存在する。


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