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 矢部宏治著「本土の人間は知らないが沖縄の人はみんな知っていること」を読んだ。本書は沖縄・米軍基地観光ガイドの形式をとって、在日米軍基地の専用施設の74%が、国土面積のわずか0.6%に過ぎない「沖縄県」に集中している実態を「目に見える形」でまとめるとともに、並行して国の根幹を歪ませている米軍基地の歴史的経緯を究明したものである。

戦後日本の政治体制の大枠は占領中に作られた。その本質は「アメリカが日本を支え、国家機能の代行をしていた」ところにあった。だがそれは「冷戦の間だけだった」。だから、冷戦後、日本は国家機能を喪失し、長きにわたって衰退をつづけているのだ。自民党という政党の一番の機能、存在理由とは、「日米安保体制を守り、運営することだった。

密約は、外務省や防衛省のエリートコースに乗った官僚たちにだけ、紙に書かれたメモとしてひそかに引き継がれている。そして何も知らない政治家が、首相や外務大臣、防衛大臣になったとたんに、官僚のトップから説明を受けびっくりする。密約は超エリート官僚だけの「秘伝」で、権力の源泉となって巨大な人事ヒエラルキーが生まれてしまっている。これが外務省や防衛省の幹部たちが首相の言う通り動けなくなっている最大の原因であろう。長期自民党政権で生まれた構造的問題で、何世代にもわたって続いているため、個人で変えることは不可能。

1979年、筑波大学の進藤栄一教授が、同年4月号の雑誌「世界」に「分割された領土」と題する論文を発表し、1947年、昭和天皇がマッカーサー司令部に対し、沖縄の半永久的な占領を求めるメッセージを側近を通じて伝えていたことを明らかにした。天皇は、沖縄に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借―25年ないし50年、あるいはそれ以上―の擬制(フィクション)に基づくべきであると考えている。(沖縄メッセージ)

1946年誕生した日本国憲法9条の理想(戦争・戦力放棄=人類の究極の夢)は続かず、共産主義勢力の拡大に対応してアメリカ政府は対日占領政策を大きく転換し、日本を「反共の砦」にしようと考えた。これがいわゆる「逆コース」の始まりである。1950年の朝鮮戦争勃発に対応し、マッカーサーは警察予備隊(後の自衛隊)の創設を命じた。占領下の突然の政策転換が、戦後の日本の安全保障論議を複雑にする大きな原因となっている。

関西学院大の豊下楢彦教授によれば、マッカーサーが夢見た「戦力を放棄した理想国家」のなかで、「国体護持」のための安保体制が新しい「国体」となった。つまり、「天皇を米軍が守る」という日米安保体制が、戦後日本の新しい国家権力構造になったということ。だから日本の右翼は親米・属米なのだ。そして自国に駐留している米軍については何も言わないし、言えないのである。本来最も愛国的であり、自主独立を唱えるべき右派勢力が、米軍の駐留を強く支持するというパラドックス。

「戦力放棄」「平和憲法」という理想を掲げながら、世界一の攻撃力を持つ米軍を駐留させ続けた戦後日本の矛盾は、すべて沖縄が軍事植民地となることで成立していたというわけだ。沖縄という同胞を切り捨て、ひたすら経済的繁栄を追い求めたことのツケが、まさに今問われようとしている。

アメリカ陸軍軍事情報部の「心理戦争課」が1942年6月、開戦からわずか半年後に作成した「ジャパン・プラン」という文書に、日本を占領したあとは「天皇を平和のシンボルとして利用する」という方針が書かれていた。さらに「現在の軍部政権が、天皇と皇室を含む日本全体を危険にさらしたことにすること」や「政府と民衆の間に分裂を作り出すため、天皇と軍部を切り離すこと」などが、プロパガンダの目標として設定された。

憲法9条は、成立当初は「国連憲章+沖縄の軍事基地化」と、1951年以降は日米安保条約と、最初からセットで存在しているもので、単独で議論することに意味はない。

ルース・ベネディクトの「菊と刀」は、アメリカの対日政策の一環として、CIAの前身の一つ「戦時情報局」が行った「対日心理戦争」の一部だった。ベネディクトは長期にわたって日本を米国に従属させるためには、日本文化の根底には言葉にできない、非アジア的な天皇中心の「文化パターン」がある、という考えを広めると効果があると結論付けた。日本が心理的にアジアと距離を置けば、決してアジアと共同歩調を取れないだろうし、アメリカに依存し続けるはずだと分析した。

2008年出版のティム・ワイナー著「CIA秘録」によれば、CIAは1950年代から60年代にかけて、自民党に数百万ドル援助しており、そもそも自民党というのは「岸がCIAに金を出してもらって作った政党」なのだ。岸はアメリカからの支援を見返りに、日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。
→<*要するに売国奴ということ。昭和天皇と吉田茂、岸信夫がこの国の形をいびつなものにした昭和の三悪人だ*>。

早稲田大の有馬哲夫によれば、日本テレビもCIAから金をもらって誕生したという。これは共産主義に対抗するためのアメリカの心理戦(情報戦)の一環として行われた。初代社長は読売新聞社主の正力松太郎で、CIAから「PODAM」というコードネーム(暗号名)までもらっていた。

アメリカ国務省は、1972年沖縄返還のすべての交渉過程を分析、検証し、報告書(「沖縄返還―省庁間のケーススタディ」)にまとめている。その結果、沖縄返還交渉は「アメリカ外交史上、まれにみる成功例」だと位置づけられている。その理由として、国防省のアメリカ側担当者だったハルペリン次官補代理は「沖縄だけでなく、日本全体の基地をより大規模に、タダで使えるようになったこと」だと語っている。

沖縄返還の当日に交わされた覚書によって、沖縄の基地のほとんどが「返還前と同じ」条件で使えることが合意されていた。さらに、日米地位協定・第2条4-bの「一時利用」を拡大解釈することで、自衛隊基地を恒常的に利用し、基地の運営経費を下げることにも成功している。

鳩山政権や細川政権のように、安全保障面でアメリカと距離をおこうとする首相が現れた時、いつでもその動きを封じ込むことのできる究極の脅し文句は、「北朝鮮が暴発して核攻撃の可能性が生じた時、両政府間の信頼関係が損なわれていれば、アメリカは核の傘を提供できなくなるが、それでもいいのか(=北朝鮮の核をぶちこまれたいのか)」という内容だと断言できる。

2009年11月、宜野湾市長・伊波洋一は議員会館で講演し、アメリカでは大規模な軍の再編計画が進んでおり、沖縄の海兵隊はほとんどグアムへ行くことが決まっているという事実を明らかにした。ブッシュ大統領時代に始まった「世界規模での米軍再編計画」のなかで、グアムに巨大な軍事基地を作る「統合軍事開発計画」が進んでおり、沖縄の海兵隊はほとんどそこへ行くことになっている。このグアムへの海兵隊の移転によって、日本を含むアジア・太平洋地域の抑止力は強化されることが日米政府間で確認されており、そのため日本は移転費用92億ドルのうち、60億ドルを出すことになっている・・・。

2011年5月にウィキリークスが暴露したアメリカの外交文書によると、鳩山政権の普天間返還交渉のなかで、防衛省と外務省の生えぬき官僚たちがアメリカのキャンベル国務次官補に対し、「(民主党政権の要望には)すぐに柔軟な姿勢を示さない方がいい」(高見沢・防衛政策局長)など、完全にアメリカ側に立った発言を繰り返していたことがわかっている。なぜそんなことが起こるのか。

その理由の一つは、米軍の存在自体が核抑止力と位置付けられているため、いつまでもいてもらわなければ困ると本気で思っているから。もう一つは、米軍の存在が現在の国家権力構造(国体)の基盤であることを、かれらがよくわかっているからだろう。戦後日本の国体[(天皇+米軍)+官僚]は、明治以来の「天皇の官吏」としての官僚たちの行動原理(絶対的権威のもと匿名で権利を行使する)にピタリとはまったわけだ。

昭和天皇亡き後、国家権力構造の中心にあるのは「昭和国体」から天皇を引いた「米軍・官僚共同体」。米軍の権威をバックに官僚が政治家の上に君臨し、しかも絶対に政治的責任を問われることはない。これが平成の新国体。その力の源泉は、彼ら外務官僚と法務官僚が「条約や法律を解釈する権限」を独占していることにある。

日米地位協定は、日本国憲法と日米安保条約という異質な法体系を、現実レベルで「接ぎ木」しているもので、その接点にある「日米合同委員会」は、日々密約を生み出している「密約製造マシーン」である。そしてこの委員会のOBたちが、日本の権力ヒエラルキーの中心に位置している。メンバーは、日本側が外務省北米局長を代表に、代表代理が法務省・防衛省・財務省・農水省・外務省の局長・参事官クラスで計5人。アメリカ側は、在日米軍副司令官を代表に、代表代理が在日米軍の高官(陸・海・空・海兵の副司令官・参謀長クラス)と在日大使館公使で計6人。

委員会の下に35の分科委員会や部会があり、2週間に1度のペースで会合を持っている。議事録と合意文書は作成されるが、それらは原則として公表されない。つまり、日本のエリート官僚と米軍の高官たちが、必ず月2回会って、密約を結んでいるということ。そしてその密約の中のあるものは検察や裁判所へ伝えられ、求刑や判決の結果を左右している。

「密約」というのは官僚の悪事や違法行為ではなく、国際法(=大国の圧力)との関係から生まれる外交上の技術に過ぎない。問題は、外国軍が条約に基づいて数万人規模で駐留し、最高裁がその問題について憲法判断を放棄しているという状況そのものにある。その結果として生じる、自国民の権利より外国軍の権利が優先するという植民地的状況を、なんとかアメリカに対等なふりをしてもらって見えなくしようとしたのが「密約」であり、文章をいじってごまかそうとしたのが「霞ヶ関文学」だということ。

日本国憲法と日米安保条約は表裏一体の関係にあり、現実は、外交と安全保障をカバーし、官僚機構を味方につけた日米安保・法体系(=国際法・法体系)の方が、憲法判断を放棄した日本国憲法・法体系よりも、実は上位なのだということ。それが1960年以降の日本の本当の姿なのである。さらに、我々国民が全く知らない間に、様々な共同宣言や合意文書によって、日米安保条約は完全に変質してしまっている。

「9.11同時多発テロ」を受けて、2002年9月にアメリカは「合衆国国家安全保障戦略」で「先制攻撃ドクトリン」を打ち出した。これは「自国の安全に対して脅威となるいかなる政府も打倒する、一方的な権利を持っていること」を宣言したものである。世界中の有識者から、この宣言が1648年のウェストファリア条約以来続いてきた、近代国際法の理念を破壊するものだと指摘されている。

2005年10月、国会の審議もなく当時の外務大臣・防衛庁長官がアメリカと交わした合意文書「日米同盟:未来のための変革と再編」によって、事実上そうしたアメリカの他国への一方的攻撃に協力することを約束してしまったのである。この合意によって、日本はアメリカの真の属国となり、「米軍の世界戦略の手ごまとして、世界反テロ戦争に投入されること」が決まったのである。

この合意文書の問題は、日米安保にはあった「国連の尊重」も「極東という地域の縛り」も、もはや存在せず、日本が中東をはじめとする世界中で、米軍の世界戦略と一体化して行動できるようになっていること。つまり完全に憲法違反の条約なのである。
アメリカは「国内では民主主義、国外では帝国主義」という2つの顔を持っている。ただし、アメリカの帝国主義は、領土を求める旧来型の帝国ではなく、米軍基地を置くことで世界を支配する新しい形の帝国(基地帝国)である。

今とるべきは太田元知事が提唱する「親米・反基地」の道である。日本にある米軍基地を縮小し、世界中の米軍基地に逆ドミノを起こす。その第一歩が沖縄のすべての海兵隊の撤退である。次に例えば2025年という期限を切って、国内すべての米軍基地を撤退させる。これを実現する方法は憲法改正である。「2025年以降、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても禁止される」。この一行を国会と国民投票で決議すれば、それで終わりである。

対米従属という点では、日本よりはるかに不利な状況にあったフィリピンが、1987年に制定した憲法に基づき、米軍基地の完全撤去を実現させている。フィリピンよりさらに条件の悪いバルト三国(ラトビア、リトアニア、エストニア)でさえ、独立してソ連の基地がなくなった後も国家として立派に存続している。NATOに正式加盟するまでの13年間、彼らは様々な恐怖に耐えながら、困難な局面を乗り切っていったのである。

だから日本にできないはずはない。足りないのはただ一つ、「勇気」だけ。この言葉はフィリピン上院を取り巻く新条約批准反対派のデモが掲げた、多くのプラカードに書かれていたという。

矢部宏治著「知ってはいけない2」を読んだ。前著PART1では戦後日本におけるアメリカへの異様なまでの従属体制が生まれた謎が解明された。本書では、その異様な体制が70年たった今も日本にだけ「なぜ続いているのか」という最後の謎に挑戦した。その謎を解くための最大の鍵が、60年前、岸信介が行った「安保改定」と「三つの密約」の中に隠されていたのである。

過去半世紀以上にわたって外務省は、無数の秘密の取り決めについて、その存在や効力を否定し続け、体系的な記録や保管、分析、継承といった作業をほとんどしてこなかったため、様々な軍事上の密約を歴史的に評価し、正しくコントロールすることが全くできなくなっている。そのため、特に2001年以降の外務省は、「日米密約」という国家的な大問題について、資料を破棄して隠蔽し、ただアメリカの方針に従うことしかできないという、まさに末期的な状況になっているのである。

日本では「アメリカとの軍事上の密約については、永遠にその存在を否定してもよい。いくら国会で嘘をついても、全く構わない」という原則が、かなり早い時点(1960年代末)で確立してしまったようである。そのため密約の定義や引継ぎにも一定のルールがなく、結果として、ある内閣の結んだ密約が、次の内閣には全く引き継がれないという、近代国家として全く信じられない状況が起こってしまう。

日本側の岸信介と佐藤栄作は、密約は窮地をしのぐために個人対個人の腹芸で交わすものとらえていたが、アメリカは、密約は政府対政府が取り交わすもので、政権が変わっても受け継がれると考えている。この密約観の違いが、核兵器の「持ち込み疑惑」のような日米間の深刻な亀裂となって表れる。

安保改定時に新設された事前協議制度には、裏側で合意された「秘密の取り決め」があり、新安保条約の調印の約2週間前に、藤山外務大臣とマッカーサー駐日大使が、その密約文書にサインしていた。その文書で核兵器を「持ち込む(イントロデュース)」という言葉の意味は、日本の陸上基地のなかに核兵器を常時配備するという意味であった。そのため、アメリカ政府は核兵器を積んだ米軍の艦船が日本の港に寄港することは、すでに了解済みだと考えていた。ところが日本側は、重大な密約が岸政権から池田政権、次の佐藤政権に伝えられていないかった。

日本政府はずっと国会で「事前協議がない以上、核兵器を積んだアメリカの艦船が日本に寄港することは絶対にない」という100%の嘘をつき続けた。半世紀以上に及ぶこの明白な虚偽答弁こそ、その後、自民党の首相や大臣、官僚たちが平然と国会で嘘をつき、それに全く精神的な苦痛や抵抗を感じなくなっていった最大の原因だといえる。そしてこの明白な虚偽答弁をもたらしたのは、核密約をめぐる日本政府の最重要報告書が、改ざんされているという事実であった。

戦後、アメリカとの外交交渉における主な成果と密約は次の通り。
吉田茂  占領の終結   指揮権密約(1952年と54年)
岸信介  親米体制の確立 事前協議密約/基地権密約/朝鮮戦争・自由出撃密約(1960年)
佐藤栄作 沖縄返還    沖縄核密約/財政密約(1969年)

これらの対米交渉は、各首相たちの指示の下、最も優秀な外務官僚たちが担当した。しかし、外務省内での情報の共有、特に過去の歴史的事実の共有がない。省内の重要ポストにいるときだけ最高の情報が集まるが、ほぼ2年でポストを後退した後の時期の知識は持っていない。アメリカ側は、日本側の最大の弱点である歴史的断絶状態に付け込んで、自分たちに必要な軍事特権をどんどん奪い取っていった。

1958年5月、岸は自民党の結党後はじめての衆議院選挙に踏み切り、287議席を取って圧勝。その5か月後には安保改定交渉もスタートさせ、現在まで続く「自民党永久政権」の時代が幕を開ける。その総選挙において、岸はCIAから巨額の「秘密資金」と「選挙についてのアドバイス」を受けていた。これは2006年に米国務省自身が認めており、歴史的事実として確定している。また、1994年、ニューヨーク・タイムズが1958年から1960年代の自民党政権[岸・池田・佐藤政権]には、CIAからずっと資金提供がされていたという大スクープを放った。→<*つまり、自民党政権はCIAの金で作られたアメリカの傀儡政権ということだ*>。

A級戦犯容疑者だった岸は巣鴨拘置所から釈放後、7年間のCIAによる辛抱強い計画により、支配政党(自民党)のトップに座り、首相へと変身した。1955年8月訪米してダレス国務長官と会い、自分への政治的・経済的支援とアメリカの外交政策への日本の政治的支援を取引した。

岸が、アメリカ政府から評価された最大の理由は、アイゼンハワー政権が進めていた、核兵器を中心とする世界規模での安全保障政策「ニュールック戦略」にあった。これは、高度な機動力を持つ核戦力をソ連の周りにぐるりと配備し、そのことでアメリカの陸上兵力を削減して、「冷戦における勝利」と「国家財政の健全化」を両立させるという一石二鳥を狙った計画だった。その戦略での中で最も重視されていたのが、同盟国から提供される海外基地のネットワークと、そこでの核兵器の使用許可だった。

岸とマッカーサー大使が共有している世界観「共産主義勢力が現在、東アジアに軍事的脅威を与えており、日本はその最大の標的になっている」こそが、その後、安保改定における両国の合意事項となり、それから60年以上たった現在に至るまで、いわゆる「日米安保体制[=日米同盟]」の基本コンセプトとなっている。
共産主義勢力の軍事的脅威という「国家存亡の危機」があるからこそ、日本はアメリカに軍事主権を引き渡し、それに従っていくしかないのだという歪んだ二国間関係が、安保改定後も変わらず必要だというロジックになってしまうのだ。

岸・佐藤によって誕生・発展した自民党は、結党時からCIAやアメリカ政府との間に、あまりにも異常な「絶対に表に出せない関係」を作り上げてしまった。日米安保体制を維持することを約束して岸がCIAから資金提供を受け誕生した自民党は、どれだけ国家としての主権喪失状態が露になっても、国際環境が変化しても、日米安保体制に指一本触れられないのは当然といえる。
つまり、自民党にとって「日米同盟[=日米安保体制]には指一本触れるな」という党是は、CIAからの巨額資金提供と引き換えに、結党時に合意された密約といってよい。

半世紀前から「全自衛隊基地の米軍共同使用」計画というプロジェクトが始まっていた。例えば富士山の麓に広がる広大な自衛隊基地は、すべて事実上の米軍基地である。なぜなら、日米合同委員会における密約によって、米軍が「年間270日間の優先使用」をする権利が合意されているから。従って自民党政権が続く限り、この形が全国に広がって、すべての自衛隊基地を米軍が共同使用するようになっても、地位協定に基づく正当な権利となっているため、法的・政治的に抵抗する方法は、ほとんどない。

米軍の権利拡大の背後に存在するシステムを「帝国の方程式」と呼ぶ。それは政治的な支配、特に異民族の支配には、
①「紙に描いた取り決めを結ぶ段階」[=ごく少数の政治的指導者層の支配]と、
②「その取り決めを現実化する段階」[=国民全体の支配]という二つの段階がある。
①と②の隔たりを埋めるために採用されるのが、安保条約と地位協定の例にもあるような、
1まず最初に、非常に不平等な取り決めを条約として結んでしまう[法的権利の確保]
2次に比較的ましな、具体的な運用協定を結ぶ[相手国の国民の懐柔]
3その後は、1と2の落差を埋める形で、少しずつ自分たちの権利を拡大していく[1の法的権利の表面化]
という戦術的プロセスである。これが「帝国の方程式」(日本側から見れば、「属国の方程式」なのだ。

この方程式を大きく前進させる三つの車輪は「安保改定時の三つの密約」と「密約を機能させるための二つの組織(日米合同員会と日米安保協議委員会)」と「米軍要求を実現するために国務省が使う外交テクニック」である。
究極の外交テクニックとは、相手国に都合の悪い内容を「条文には書くが、その意味は教えない」[プロセス1]、「そのあと、少しずつ本当の意味を教えていく」[プロセス2]というテクニックである。

安保改定によって行政協定・第24条が、背後に指揮権密約を抱えたまま、新安保条約の第4条と第5条にバージョンアップされ、最後は1976年の日本防衛協力小委員会の設置により、「米軍司令官の指揮権」を前提とした、事実上の「日米合同司令部」が誕生することになった。日本防衛協力小委員会における第一次・第二次・第三次のガイドラインの作成と、安保関連法の成立(2015年9月)によって、ついに、「米軍が自衛隊を指揮して、世界中で戦争するための法的な条件と環境」がすべて整うことになった。

事前協議制度は、米軍の基地権に制限を加えるための制度ではなく、米軍が自衛隊を軍事利用(指揮)するという困難な課題を、基地の問題と同様に、日本の議会や司法を一切関与させない形で前に進めるために、新たに導入された制度だった。その「目的」こそがアメリカ側が安保改定で実現しようとした「本当の目的」だった。だから、「対等な日米新時代」をスローガンに行われたはずの安保改定が、逆に日本の主権喪失状態を悪化させ、固定化したのである。

現在の日米関係は、日本が米軍の指揮の下でのあらゆる戦争協力(基地権+指揮権の提供)と巨額の武器購入を行い、アメリカは核の傘(拡大防止)の提供という、まったくばかげた関係になっている。しかも「核の傘」が本当に守っているのはアメリカ本国だけ。日本や韓国を守るために、アメリカが実際に核を撃つと考えている人など、今ではどこにもいない。しかも、アメリカが日本に「核の傘を差しかける」ために、特別にかかるコストはゼロである。

日本防衛協力小委員会における第一次・第二次・第三次のガイドラインによれば、日本防衛は自衛隊が第一次的な責任を負い、米軍はそれを支援し、補足するだけとなっている。これが「アメリカの日本防衛義務」と言われるものの実態である。

いま、米軍が日本に対して持っていることが確実な権利は、1戦時に自衛隊を指揮する権利(指揮権密約+新安保条約・第4条&第5条)、2すべての自衛隊基地を共同使用する権利(地位協定・第2条4項bの外務省解釈)、3事前通告により、核を地上配備する権利(岸の共同声明あるいは口頭密約)である。

これらを組み合わせると「人類史上唯一の核兵器による被爆国日本の基地(米軍または自衛隊)に、その原爆を投下した当事者である米軍が核ミサイルを配備して、その発射スイッチを持ったまま、自分たちは安全な後方地帯に撤退する」という究極のシナリオが「帝国の方程式」の未来に見えてくる。

→(*米国隷従を党是とする自民党政権が続く限り、この究極のシナリオの実現を避けることができない。いや、自民党政権はその実現をむしろ加速している。日本滅亡の日も近いのでは?*)

 白井聡・望月衣塑子共著「日本解体論」を読んだ。政治学者の白井聡と東京新聞記者の望月衣塑子が、この10年間で加速度的に進行してきた日本社会の崩壊を、対談形式による様々な事象の解釈を通じて解明しようとしたもの。

議論の対象事象は、1戦前・戦後の二つの国体、失われた30年と主権の喪失、「平和と繁栄」という幻影について、2日本全体を覆う「政治的無知」がもたらす脅威について、3批判する力を失っているメディアと学問について、4権力とメディアの関係性について、5劣化する日本社会として、東京五輪で露呈した日本の人権意識や、政治家と官僚の関係、外国人労働者を「排斥」する日本の矛盾について、6ロシアとウクライナ侵攻について、である。

戦前は天皇を頂点とする天皇中心の国体、戦後はアメリカを頂点とするアメリカ中心の国体になったが、戦後も戦前の権力構造や社会構造は温存された。東西対立が終わった90年代以降は、日米関係の基礎は根本的に変わり、日本は庇護の対象から収奪の対象へと変化した。しかし、日本は国の根本的な立ち位置を再考・再設定できずに、対米従属がますます強化され、自己目的化していった。

主権には対内的な意味と対外的な意味がある。対内的な意味としては誰が主権を所有しているのか、君主なのか、一部の人々なのか、国民全体なのか。対外的な意味としては、国外から一切干渉されずに自己決定できるかということ。戦後の日本はこの二つの意味での主権がどちらも全く成り立っていない。対外的には、アメリカの属国であり、対内的には官僚主権、大企業主権である。対内的にも対外的にも国民には実態としての主権の一片もない。

「平和と繁栄」というキーワードで想起される肯定的な時代像が戦後のイメージだったが、3・11で「結局は全部、虚妄だったよね」と言わざるを得ない状況が突き付けられた。ポスト3・11に登場した安倍政権が8年近くの長期政権になったのは、メディアがだらしないという理由だけではなく、平和と繁栄としての戦後は今や幻影でしかないのに、その幻影を手放したくないという国民のメンタリティが政権を支え続けた。しかしそれも限界になってきたというのが現在、戦後77年目の政治状況だろう。

日米関係における対米従属の危なさは、日米安保体制が本来、国際関係の話であるはずなのに、日本のデモクラシーを支えるもの、いわば国民の精神の最も深いところを内側から掘り崩した点にある。天皇制は人間をダメにする。戦前の天皇制は畸形的な社会を作り出した。戦後の「アメリカを頂点とする天皇制」も全く同じで、そこに生きる人間をダメにする。

どのようにダメにするのか。戦後77年たった今の日本人には、自分の運命は自分でコントロールするという気概がない。「自分の運命の主人は自分である」という精神、あるいはそうありたいという欲望が「主権者である」ということの根本である。それなくして国民主権はあり得ない。それがない国で民主主義は成り立たず、だから当然、日本の選挙は茶番にしかならず、自民党が延々と勝ち続けているのだ。

民主制はそれを担うにふさわしい有権者によって担われなければ堕落するという事実、道理に基づけば、「国民の政治的無知」が跋扈する今日の日本では民主制がマトモに機能するはずがない。これは日本に限らずトランプ政権を生んだアメリカでも問題視されている。政治的無知におけるメディアの大罪はすさまじい。大阪維新の会はテレビが生んだモンスターだろう。

米ダートマス大学の政治学部の堀内教授の調査によれば、1有権者はほとんど政党の打ち出す政策というものを見ていない。選挙の時に政策なんかで支持政党や候補者を選んでいない。2単に「自民党だから」という理由で自民党を支持している。例えば、「日米安保体制の廃止」という著しく支持の低い共産党の政策ですら、自民党の政策として提示された途端、どちらかと言うと支持多数になってしまったという。もはや自民党はほとんど信仰の対象と言っていいくらいだ。

この10年の間、日本社会の崩壊は加速度的に進行してきた。政界、財界、労働界は言うまでもなく、マスメディア、学術の世界も同断である。なぜここまで劣化がとめどもなく進むのか。それを説明する理屈は色々あるが、それから対処策が直接出てくるとは限らず、何をなすべきかを教えてくれるわけでもない。劣化は、それ自身で進行するわけではない。その担い手、人間が必ずいる。要するに、劣化しているのは様々な現場における個人であると考えない限り、われわれは何をなすべきか、指針が得られることはない。今日の状況に照らせば、劣化に抗する拠点は個人の覚悟にしかないと言わざるを得ない。


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