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 見田宗介著「現代社会はどこに向かうか」を読んだ。本書は、この世界の環境的・資源的有限性を生きる思想を確立するという課題に直面した現代社会と人間精神の向かう方向について、理論構築とデータ分析により考察したものである。

1973年以降5年ごとに行われたNHK放送文化研究所による「日本人の意識」調査のデータがある。「世代」を15年ごとに「戦争世代」「第一次戦後世代」「団塊世代」「新人類世代」「団塊ジュニア」「新人類ジュニア」とすると、各世代の「意識」は最近になるほど接近している。特に「新人類」以降の世代に差異がなくなってきている。

「現代」とは人類の爆発期(S字曲線の第Ⅱ期)である「近代」から、未来の安定平衡期(S字曲線の第Ⅲ期)に至る変曲ゾーンと見ることができる。「現代社会」の種々の矛盾に満ちた現象は、「高度成長」をなお追求し続ける慣性の力線と、安定平衡期に軟着陸しようとする力線との、拮抗するダイナミズムの種々層として統一的に把握することができる。われわれは変化の急速な「近代」という爆発期を後に、変化の小さい安定平衡期の時代に向かって、巨大な転回の局面を経験しつつある。この展開の経験が、「現代」という時代の本質である。

20世紀の後半は「近代」という加速する高度成長期の最終局面で、その拍車の実質を支えていたのは<情報化/消費化資本主義>のメカニズムである。その範型は「GMの勝利」であった。GMは「デザインと広告とクレジット」という情報化の諸技法によって車をファッション商品に変え、買い替え需要を開発するという仕方によって市場を「無限化」してしまう。つまり情報化によって消費市場を自己創出するシステムであり、これにより旧来の「資本主義の矛盾」を克服するシステムであった。

しかし、この「無限」に成長する生産=消費システムは、資源の無限の開発=採取を前提とし、環境廃棄物の無限の排出を帰結するシステムである。資源/環境は現実に有限であるが、資源を「域外」に調達し廃棄物を海洋や大気圏を含む「域外」に排出することで、環境容量を無限化できる。しかしこのグローバルシステムは、地球に域外はないことから最終的な有限性を露呈する。

2008年「GM危機」は、直接的にはサブプライム・ローン問題に端を発したグローバルシステムの崩壊の一環として現実化した。情報化に情報化を重ねることによって構築される虚構の「無限性」が、現実の「有限性」との接点を破綻点として一気に解体するという構図を見ることができる。

今、人間は世界の「有限」という真実にたじろぐことなく立ち向かい、新しい局面を生きる思想とシステムを構築してゆかなければならない。現代という歴史の巨大な曲がり角、危機の時代を、巨大な思想とシステムの創造の時代、新しい<軸の時代(「近代」に至る文明の始動期)>に転嫁することを通して、乗り越えてゆかねばならない。

近代に至る文明の成果の高みを保持したままで、高度に産業化された諸社会は、これ以上の物質的な「成長」を不要なものとして完了し、永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)として、近代の後の見晴らしを切り開くこと。けれどもそれは、生産と分配と流通と消費の新しい安定平衡的なシステムの確立と、個人と個人、集団と集団、社会と社会、人間と自然の間の、自由に交響し互酬する関係の重層する世界の展開と、そして何よりも、存在するものの輝きと存在することの至福を感受する力の開放という、幾層もの現実的な課題の克服をわれわれに要求している。
この新しい戦慄と畏怖と苦悩と歓喜に充ちた困難な過渡期の転回を共に生きる経験が「現代」である。

人間史の第Ⅲ局面の高原の見晴らしを切り開くという課題の核心は、第Ⅱ期局面を支配してきた、あの欲望と感受性との抽象化=抽象的に無限化していく価値基準の転回であり、欲望と感受性との具体性、固有性、鮮烈なかけがえのなさの解放である。展開の基軸となるのは、幸福感受性の奪還である。再生である。感性と欲望の解放である。存在するものの輝きと、存在することの祝福に対する感動能力の解放である。

 青木理著「破壊者たちへ」を読んだ。本書は、2018年から2021年にわたり、週刊誌「サンデー毎日」に連載コラムや単発記事として寄稿した文章を一冊に編んだ時評集である。

感染症パンデミック化の五輪強行、排他や不寛容の扇動、歴史修正主義、国会軽視、人事権の乱用、公文書の隠蔽・改ざん、少子高齢化の進行、貧困と格差の拡大など、眼前に横たわっているのは、課題に向き合わず戦後の蓄積をただ食い潰し、矜持まで破壊した為政者たちによって積み上げられた瓦礫の山である。

なのに「国民の命と財産」がまさに危機に瀕したパンデミック下、無為無策に終始した為政者たちは次々と政権を放り出し、その筆頭者がキングメーカーを気取り、後釜に座ろうとする者たちとまたも権力闘争にうつつを抜かしている。
本書に収めたのは、そうして破壊活動に邁進した為政者たちへの抵抗の記録である。

真正面から政治や社会の倫理を破壊し尽くした政権の罪は万死に値する。罪を以下に列挙する。
(1)強者には媚び、へつらい、弱者には居丈高に振る舞う。各国が疑念の目を向ける   異形の米国大統領に、恥も外聞もないゴマスリに邁進した。そしてご機嫌取のために超高額兵器を爆買いし、膨大な公金を費消した。

(2)多数を制して傲慢となり、歴代政権の憲法解釈を覆すとともに、禁断の人事権を放埓に行使した。そして「お友達」や支援者、応援団には露骨な利益誘導を図る一方、従わぬ者たちには陰湿な攻撃を加え、隣国への居丈高な態度とともに排他と不寛容の風潮を煽った。

(3)自らに向けられた批判や疑念には一切耳を貸さない。窮地に陥ると嘘や詭弁を平然と連発し、公文書すら軽んじ、不都合なものは隠蔽し、破棄・廃棄し、ついには改竄という前代未聞の犯罪行為まで引き起こした。

(4)しかし、責任は取らない。口先では軽々しく「責任」に言及しても、実際はなんの責任も取らず、国会や記者会見での説明からも逃げ、おもねるメディアやメディア人がこれに媚び、甘やかし、支える。

長期政権の罪は確実に蔓延し、疑惑や不正の隠蔽とともに「継続」される。つまりは人倫破壊政権の第2幕である。

→自民党政権が続く限り、人倫破壊に幕が下りることはない。


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