田中拓道著
「リベラルとは何か」を読んだ。本書は、リベラルと呼ばれる政治的立場と思想の形成と、それが受けてきた挑戦について解説したものである。リベラルは、およそ三つの段階を経て今日の形になった。第一は、古典的自由主義からリベラルへの転換である。19世紀末から20世紀初めにかけて、経済的自由主義を修正し、個人の能力の発展と自由な生き方を保証するために、国家が幅広い分配を行うべきだとする思想が登場した。第二次世界大戦後、リベラルな思想は党派を超えた共通の合意となり、ケインズ主義的福祉国家が導入されていった。
第二は、1970年代の文化的リベラルの登場である。経済成長と産業構造の変化によって、都市部に中産階級が増大していくと、国家か市場かという対立軸に代わって、文化的価値観に基づくリベラル―保守という新たな対立軸が生まれた。リベラルは「価値の多元性」を重視し、経済成長を優先する戦後政治の在り方を批判していく。エコロジー、ジェンダー、働き方など、社会の在り方と個人のアイデンティティの自由な選択を求める運動が噴出した。これらの運動の主な担い手は、教育水準が高く、高度な技術を有する職、公共サービス職に就く中産階級、学生、主婦などであったが、その広がりは限定的だった。
第三は、1990年代以降のグローバル化の進展に伴う現代リベラルへの変容である。リベラルは、文化的価値に加えて、国家による分配政策と再び強く結びつくようになった。ここでの分配政策とは、かつてのような画一的なリスクに合わせた生活保障ではなく、働き方や家族の多様なあり方、個々人の抱える多様なリスク(新しい社会的リスク)に合わせたきめ細かな財とサービスの分配を指す。
現代リベラルは、ワークフェア競争国家、排外主義ポピュリズムと対抗関係にある。ワークフェア競争国家とは、新自由主義の延長上に現れた新たな国家像である。それは教育や福祉政策を通じて個人の内面に働きかけ、個人を就労へと動員する強力な国家の役割を認める。ワークフェア競争国家は、国家の支出を増やさず、官民ネットワークを活用したり、公共サービスに市場のメカニズムを導入したりする点では市場寄りである。他方、国家の経済的繁栄を至上の目的とし、権威主義的な手法によって個人を就労へと動員していく点では、文化的な保守として位置づけられる。(図1)

図1
排外主義ポピュリズムは、国家による保護や福祉を求めるという点では、現代リベラルと一定の共通点がある。しかし、それは多文化主義を否定し、伝統集団の維持とナショナルな一体性を強調する。移民や難民を排斥する一方、自国生まれの市民への優先的な福祉を求める(福祉排外主義)。
現代リベラルは、排外主義ポピュリズムに対抗し、ジェンダー、民族、出自などに関わらず、普遍主義的なアプローチにもとづき、すべての市民の自由な選択を保証するために、国家による幅広い財やサービスの分配を求める。現代リベラルが政治的な力を持つためには、支持層の再編が必要となる。製造業に従事する男性の正規労働者を支持基盤とするだけでは、リベラルな政策は実現できない。リベラルな価値観を持つインサイダーと、「新しい社会的リスク」にさらされたアウトサイダーの間に政治的な連携を作り上げられるかどうかが鍵となる。
働き方、生き方の自由な選択を保証するためには、ロールズの思想に見られる通り、事後的な分配から事前のきめ細かな分配へと、雇用・福祉政策を転換する必要がある。具体的な政策は①「古い社会的リスク」に対応する政策(医療保険、年金など)の個人化改革、②労使の話し合いによる労働時間の選択制、労働市場の柔軟化、③育児ケア、教育、職業訓練などの社会的投資の拡大と、最低保証(住居・医療・所得保障だけでなく、市民社会や政治への実効的な参加の保証)の組み合わせである。
戦後日本は欧米諸国と多くの共通点があったにもかかわらず、リベラルな政治勢力が選択肢として確立してこなかった。一つの要因は、自由主義的伝統の弱さにあったと考えられる。戦前から戦後にかけて、日本政治の指導層は、国家の繁栄を至上の目的としてきた。戦前の社会では、国家に先立つ個人の権利や、法による国家権力の制約という考えは、一部の知的エリートによって唱えられただけで、広く受容されていなかった。古典的な自由主義からリベラルへの転換が起こる以前に、古典的自由主義そのものが根付いていなかったのである。
戦後は、冷戦構造を反映した保守・革新の対立の下で、国内の雇用・福祉政策は大きな政治の争点とならなかった。とりわけ革新勢力は、個人の自由な生き方や選択を重視するのではなく、護憲・平和主義、社会主義革命と言うイデオロギー色の強い路線を取っていった。
高度経済成長を経て、1970年前後には、都市部の中産階級を中心に、リベラルな政治意識を持つ市民層が登場し、様々な社会運動を担っていく。しかしこれらの運動は国家の体系的な雇用・福祉政策と結びつくものではなかった。1980年代以降は、保守政党の唱える「日本型福祉社会」という構想の下、中産階級も利益誘導ネットワークの中に取り込まれていった。個人が家族、そして「日本型雇用」を維持する企業に抱え込まれる傾向は続いた。
二つ目の要因は、1990年代以降の政治状況である。グローバル化が進展し、国内で自由化の圧力が高まると、「日本型福祉社会」は破綻を迎える。日本は欧米諸国と同様の課題に直面していった。経済の長期的な停滞、インサイダーとアウトサイダーの二分化、家族の変容と少子高齢化の進展などである。この時期以降、日本でも「リベラル」と言う言葉が噴出し、従来の革新政党と異なるリベラルな勢力の結集が目指された。
しかし、日本で過去30年間に試みられてきたのは、「日本型福祉社会」に代わる体系的な雇用・福祉政策というよりも、政治制度の改革と、政界内部での政党をめぐる離合集散だった。「リベラル」という言葉は、もっぱら政治家による離合集散のシンボルとして語られ、内実を持たないまま消費されてきた。
現代リベラルは、多様なリスクを抱える個々人を結び付けるため、きめ細かな雇用政策と福祉政策を一体として推進するものでなければならない。そのためにはインサイダーとアウトサイダーの利益を集約する労働運動、様々な困難を抱えたアウトサイダーを代表する社会運動、そして政党の間での長期にわたる交渉と理念の構築を必要とする。1990年代以降の日本では、こうした社会的基盤が欠けていたと考えられる。
2010年代以降、保守政党は新自由主義的改革から方針を転換し、ワークフェア競争国家へと向かっている。経済成長を最優先し、国家の支出を増やさずに、教育や福祉政策を通じて、個人を就労へと動員する政策を展開してきた。
しかし、ワークフェア競争国家は社会の分断を埋めるよりも、それを固定化するという帰結をもたらす。こうした傾向が続くならば、不安定な生活を強いられるアウトサイダー、安定した雇用を失いつつあるインサイダーの一部は、政治への疎外感を強めていくだろう。欧米諸国の政治を見れば、こうした人々は「腐敗したエリートの支配」を糾弾し、「汚れ無き人民」(自国生まれの市民)への優先的な福祉や保護を唱えるポピュリズム勢力の支持へと向かって行く可能性がある。
産業構造の変化、働き方の多様化、家族の多様化は今後も続いていくだろう。日本に住む人の民族や宗教の多様性も高まっていくだろう。価値観が多様化し、個々人の抱えるリスクがますます個別化していくとき、人々を結び付ける共通の絆とは、排外的な民族意識や、復古的なナショナリズムではありえない。誰もが自らの人生の目標を選び、それを自由に追求できること、国家がそうして条件を整備すること、即ちすべての個人に対する価値観やライフスタイルの「自由な選択」の保証を、共通の理念的な基盤とするほかない。
「リベラル」は今も新たな挑戦を前に、模索の途上にある。欧米の歴史的な経験と現在の模索は、日本の進路を考えるうえでも、重要な示唆を与えてくれるはずである。