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 ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン著「自由の命運 上」を読んだ。本書は、自由が生まれ栄えるためには、国家と社会がともに強くなければならないと主張する。暴力を抑制し、法を執行し、また人々が自由に選んだ道を追求できるような生活に不可欠な公共サービスを提供するには、強い国家が必要だ。強い国家を制御し、それに足枷をはめるには、結集した強い社会が必要だ。社会の絶えざる警戒がなければ、どんな憲法も保証も、それが書かれた羊皮紙ほどの価値しか持たなくなるからだ。

専横国家がもたらす恐怖や抑圧と、国家の不在がもたらす暴力や無秩序の間に挟まれているのが、自由への狭い回廊である。国家と社会が互いに均衡するのは、この回廊の内部である。均衡といっても、革命によって瞬間的に達成されるものではない。均衡とは、両者の絶え間ない、日常的なせめぎ合いである。このせめぎ合いは利益をもたらす。回廊の中で、国家と社会はただ競争するだけでなく、協力もする。この協力に助けられて、国家は社会が求めるものを提供する能力を高め、社会は国家の能力を監視するためにますます結集することができるのだ。

これが扉ではなく回廊である理由は、自由の実現が点ではなくプロセスだからだ。国家は回廊内で長旅をして、ようやく暴力を制御し、法律を制定・施行し、市民にサービスを提供し始めることができる。これがプロセスである理由は、国家とエリートが社会によってはめられた足枷を受け入れることを学び、社会の異なる階層が違いを超えて協力し合うことを学ぶ必要があるからだ。この回廊が狭い理由は、こうしたことが容易ではないからだ。

著者は政治哲学者ホッブズの「リヴァイアサン」をアイコンとして用い、国家が強すぎれば「専横のリヴァイアサン」(独裁国家)が生まれ、逆に弱すぎれば「不在のリヴァイアサン」(無政府状態)に堕してしまう。専横と不在の二つのリヴァイアサンの挟まれた狭い回廊に入り、国家と社会のせめぎ合いをへて「足枷のリヴァイアサン」を生み出した国だけが、赤の女王効果によって自由と繁栄を維持できると主張している。

古今東西の豊富な歴史研究をもとに、シリア、古代ギリシャ、建国期のアメリカ、中国など、世界各国が三つのリヴァイアサンのうちのいずれの道筋をたどったのか、その要因とプロセスを分析、理論化した。なぜ西欧だけに「足枷のリヴァイアサン」が生まれたのか、その理由について考察している。

この理論によれば、日本は国家に比べて社会の力が弱く、せめぎ合いもあまり見られないことから、自由への狭い回廊から外れて「専横のリヴァイアサン」(独裁国家)に成り下がりつつあるということになる。


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