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 田中利幸著『検証「戦後民主主義」』を読んだ。本書の目的は、日米の「戦争責任問題」の取り扱い方の絡み合いを、空爆、原爆、平和憲法の3点に絞って分析することにある。さらには、日米の公的「戦争記憶」がいかにして作られ今も操作されているのか、その「公的記憶」に対して、我々市民が自分たち独自の「歴史克服のための記憶」の方法を創造していくにはどうすべきかについても議論する。

 太平洋戦争末期の空爆による無差別大量殺傷の責任の全容は、単にアメリカ側の行動を一方的に分析するだけでは決して明らかにはならない。アメリカによる加害行為を、被害国である日本側の天皇制ファシズム国家政府の「防空体制」の実態と複合的に考察することによって、はじめてその責任の全体像が明らかとなる。その「防空体制」は、天皇制国家に内在する「自国民犠牲化構造」に深く組み込まれていたのである。

 すなわち、昭和天皇・裕仁の「赤子」たち国民が、深さ1メートルもない狭い穴を古畳やトタンで覆った「待避壕」に身を隠し、いつ直撃弾にやられるかと怯え震え、あるいは、焼夷弾の猛火に囲まれ、我が子を抱えて狂うように逃げ回っていたとき、裕仁自身は「御文庫」と呼ばれる強固な防空邸宅の地下防空壕に、あるいは、その邸宅から100メートルほど先の、地下道でつながっている「吹上(地下)防空室」に避難していたのである。

 長崎への原爆投下後も、無差別空爆は終戦前日の8月14日まで毎日のように続けられた。この事実は、「原爆投下終戦決定要因」論がいかに根拠のない神話であるかを証明している。

 原爆無差別大量殺戮という重大な「人道に対する罪」をアメリカが犯すような状況を日本側が作り出したという点で、確かに「招爆責任」が裕仁と天皇制ファシズム国家権力支配層にあったことは疑問の余地はない。しかし、原爆使用決定に至る経緯を分析すると、トルーマン大統領と当時の米国政府の重鎮たちが、裕仁にそのような「招爆」状況を作らせるように画策したという事実があることも明らかになる。

「招爆論」の核心には、「国体護持」という重要な問題があった。さらに米国の原爆攻撃による無差別大量殺戮「正当化論」の目的と、日本の原爆被害の「終戦利用」、とりわけ「終戦の詔勅」での利用の真の目的が、それぞれ「招爆画策責任」と「招爆責任」を隠蔽することであった。そのような日米両国のそれぞれの責任隠蔽が、戦後の新しい「日本民主主義」のみならず米国の「民主主義」をも、矛盾に満ちた屈折したものにしてしまったのである。

 天皇裕仁を「戦争犯罪/戦争責任」問題から引き離し、なるべく無傷のままで「天皇制」を脱政治化しながらも温存、維持していくことが、日本の占領政策を円滑に進めていくため、とりわけ急伸しつつあった共産主義活動とその思想浸透を抑え込んでいくためには絶対に必要であるというのが占領軍司令官の考えであり、米国政府の一貫した基本政策でもあった。

 しかしこのときマッカーサーは、2つの極めて憂慮すべき事態、すなわち1946年5月開廷予定の東京裁判で、オーストラリアが裕仁の訴追を強く要望していたこと、2月に日本占領の最高政策決定機関として「極東委員会」が発足する事態に直面していた。同委員会の構成国は東京裁判の構成国と同じであり、しかも、戦犯裁判の政策決定や、憲法改正案の作成などの権限を保持していた。

 したがって、極東委員会が戦犯裁判の政策や、憲法改正案の作成に関する議論を開始する前に、裕仁の「不起訴=免罪・免責」と「新憲法による天皇制維持」の両方を確定しておくことが急務であった。そのためには天皇裕仁が本来は「平和主義者」であることを強く表明し、同時に、将来天皇の権限が政治家や軍指導層に政治利用される可能性を完全に除去しておく必要があるとマッカーサーは考えていた。その決定的手段として、連合諸国が驚嘆するに違いない「戦争放棄条項」を新憲法に盛り込むことが非常に有効であることを、幣原との会談で突然思いついたのである。

 憲法作成の歴史過程を踏まえれば、日本国憲法は「裕仁/天皇制救出憲法」と称すべきものであった。したがって、日本国憲法は「おしつけられた」結果の「妥協の産物」などではなく、本質的には「日米合作」と称すべきものであった。しかも憲法草案の基礎となった「マッカーサー草案」には、当時の大半の日本人の想いを反映する幣原の「不戦」の願いや、在野の「憲法研究会」作成による「憲法草案要綱」に含まれていた民主主義的思想が強く反映されており、それらは最終的に新憲法にも色濃く反映された。

 にもかかわらず、重大な問題は、憲法第1章1条~8条と2章9条が、裕仁の「戦争犯罪と戦争責任」を帳消しにするために設定されたという、この厳然たる事実である。一国の憲法が、その国家の元首の個人的な「戦争犯罪・責任の免責・免罪」を意図して制定されたこと、憲法第1章で規定された国家元首の、本来は問われるべき戦争犯罪責任を、第2章9条の平和条項で隠蔽してしまったこと。
つまり、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免責の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

 普遍原理と国家原理の間の深い矛盾を抱えた特異な憲法を持つ日本国家に暮らす我々市民が、その国家原理に抵抗していくには、憲法前文と9条が持つ普遍的人道主義と絶対平和主義を市民運動でフルに活用していくより他に道はない。
この道を選ばずに、日本という国家原理のみならず米国の国家原理にも服従する道を選び続けるならば、日本市民の「平和的生存権」そのものが侵される状況がすぐそばまで迫ってきているのである。

 問題は憲法第1章1条の「国民統合の象徴」という表現である。この「象徴」は、もともとは、戦前・戦中の「国体」観念を構成する3つの重要な要素の1つであった。戦前・戦中「国体=国の形」は、政治権力、軍事権力、象徴権威の3つの要素が「天皇=現人神」に統合されている形になっていた。

 「全面降伏」にもかかわらず、「国体」の「象徴権威」だけは温存することで天皇制維持を図りたい裕仁並びに日本政府の意向と、「象徴権威」維持を許し、直接的「権力」を剥がしたうえで、その「権威」を日本占領統治支配のために政治的に利用しようとする米国側の思惑が一致した。とりわけソ連の日本占領政策への介入と日本への共産主義思想の浸透を極力避けるという点で日米の意向は完全に一致した。

 現行憲法の規定によれば、「象徴」は、厳密には非宗教的なものでなくてはならない。ところが実際には、いまも神道宗教に基づく「三種の神器」を保持する「神」である「天皇」によって代表されている。しかも、「象徴」の葬儀である「大喪儀」や新しい「象徴」の即位式である「大嘗祭」など、国民の巨額に上る税金を使って宮内庁が執り行う重要な皇室関連儀式はほとんどが神道に基づいて行われていることからも、違憲行為そのものである。

 本質的には、憲法1条は、明治憲法3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」を明らかに継承しているのであり、「神聖な天皇」の下に、日本国民が統合されているという「幻想家族国家共同体」観念を、主として大衆の無意識のレベルで、今も作り出していることは否定しがたい。


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