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 矢部宏冶著「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」を読んだ。本書は、「戦後日本」に存在する「ウラの掟」の全体像を簡明に述べたものである。それらの掟は日米政府間でなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としており、社会全体の構造を大きく歪めて「法治国家崩壊状態」が広がっている。
本書では九つのウラの掟の起源となる「日米間の隠された法的関係」の全体像を明らかにしている。

1.日本の空はすべて米軍に支配されている
 巨大な「横田空域」「岩国空域」は米軍の管理空域で、国内法の根拠は何もない。2010年に返還された「嘉手納空域」も、巨大な「米軍優先空域」が新設され、実質的に米軍支配下にある。そのほか、米軍の「低空飛行訓練ルート」が日本全土の上空に設定されている。これらは、非公開の日米合同委員会での密約に基づいており、日本の国内法(航空法特例法)で米軍機は適用除外となっている。

2.日本の国土はすべて米軍の治外法権下にある
 米軍機墜落事故では、現場周辺は米軍が黄色いロープで封鎖し、日本人の立ち入りを禁じる。事故の証拠物件は米軍が持ち去り、日本側に手渡されることはない。これは、日米合同委員会での密約「日本国の当局は、所在地のいかんを問わず米軍の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行う権利を有しない」に基づいている。

3.日本に国境はない
 「旧安保条約」⇒「行政協定」⇒「日米合同委員会」という三重構造の「安保法体系」により、アメリカは米軍を「日本国内およびその周辺」に配備できる。つまり、「国内に自由に基地を置く権利」と「そこから自由に国境を超えて他国を攻撃する権利」を有する。米軍と関係者は日本側のチェックを一切受けることなく、米軍基地経由で出入国できる。これらは、安保条約改定後も密約によって維持されている。

4.国のトップは「米軍+官僚」である
 日米合同委員会は「米軍が戦後日本において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」である。メンバーは日本側がすべて各省のエリート官僚であるのに対し、アメリカ側は、アメリカ大使館の公使一人を除いて全員が軍人であるという異常な組織である。「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。つまり、「アメリカへの従属」というよりも「米軍への従属」であり、しかも精神的にではなく法的にガッチリと抑え込まれているものである。

5.国家は密約と裏マニュアルで運営する
 占領期の米軍特権を維持するために「密約の方程式」が用いられる。つまり、
「古くて都合の悪い取り決め」=「新しくて見かけの良い取り決め」+「密約」
である。米軍関係者の犯罪については、日米合同委員会で「裁判権放棄密約」と「身柄引き渡し密約」が結ばれ、行政協定の条文が改善されても実態は変わらない。
岸信介の安保条約改定のウラ側では「基地の問題についての実質的な変更はしない」という基地権密約が結ばれていた。つまり、「地位協定」=「行政協定」+「密約」である。
日本が独立回復後も米軍に全面的な治外法権を与えているという矛盾を隠すために、国家の最も重要なセクションにそれぞれ裏マニュアルを必要とした。それは最高裁の「部外秘資料」、検察の「実務資料」、外務省の「日米地位協定の考え方」の三つである。

6.政府は憲法にしばられない
 在日米軍の違憲性に関わる「砂川裁判」において、最高裁は統治行為論によって「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしなくていい」との判決を下した。これにより、「安保条約は日本国憲法の上位にある」ことが、最高裁の判例として事実上確定してしまった。条約は国内法より上位にあるので、条約の憲法判断をしないと安保条約は憲法を含む国内法の上位に位置づけられる。

 また、なにが「重大で高度な政治性」を持つ問題かは、議会で多数を持つ政権与党が勝手に決めていいように判決が書かれている。従って、政府が腹を括れば何でもできてしまう。日本国憲法に基づき、裁判で政府の暴走を止めることは、絶対にできない。米軍関係者だけでなく、エリート官僚を含む日本の支配層もまた、法的なコントロールの枠外に出てしまうことになった。

7.重要な文書は最初すべて英語で作成する
 日本の全面降伏を表わす降伏文書や昭和天皇の「人間宣言」、日本国憲法も、最初は英文で書かれた。憲法九条のルーツは次のとおりである。
大西洋憲章⇒連合国共同宣言⇒ダンバートン・オークス提案⇒国連憲章⇒憲法九条

8.自衛隊は米軍の指揮の下で戦う
 「吉田・アチソン交換公文」は「占領下の戦争協力体制の継続」を義務付けられたものである。吉田茂首相が米軍司令官と口頭で結んだ密約「指揮権密約」は、「戦争になったら自衛隊は米軍の指揮の下で戦う」というものである。これは日本が完全な属国であることを意味するので、絶対に公表できないから密約にした。これは現在もそのまま生きている。
2015年の安保関連法の制定によって、「自衛隊の活動は国内だけ」という9条1項によるしばりも完全になくなった。その結果、「完全にアメリカのコントロール下にあり、戦争が必要と米軍司令部が判断したら、世界中でその指揮下に入って戦う自衛隊」という悪夢が、現実のものになろうとしている。

9.アメリカは「国」ではなく「国連」である
 戦後、日米間で結ばれたすべての条約、協定、密約を、具体的な条文レベルで次のように整理できる。
「米軍自身が書いた旧安保条約の原案」=「戦後の正式な条約や協定」+{密約」
軍事面から見た「戦後日本」の歴史とは、米軍が朝鮮戦争のさなかに書いた安保条約の原案が、多くの密約によって少しずつ実現されていく、長い一本のプロセスだったと言える。

ダレスは占領終結後も米軍が日本に駐留し続けることを法的に可能にするため、国連憲章43条を106条によって読み替える法的トリックを編み出した。43条は「国連加盟国は、国連軍に基地を提供する義務を持つ」というもので、106条は「国連軍ができるまでのあいだ、安保理の常任理事国である五大国は、必要な軍事行動を国連に代わって行っていい」という暫定条項である。つまり、国連加盟国を日本、国連安保理を国連を代表するアメリカ、国連軍特別協定を日米安保条約、国連軍を米軍に読み替えたものである。

アメリカの軍部によって植民地支配されている「戦後日本」という状態から脱却するには、きちんとした政権を作って日本国内の既得権益層(安保村)を退場させ、アメリカの大統領や国務長官に対して、「現在の日米関係は、朝鮮戦争の混乱の中でできた、明らかに違法な条約や協定に基づくものです。こうした極端な不平等条約だけは、さすがに改正させてほしい」といって交渉すればいい。

 白井聡著「国体論」を読んだ。本書は、「国体」の概念を基軸として、明治維新から現在までの近現代史の把握を試みたものである。戦後には「国体」は死語となったと思われているが、「戦前の国体」は構成を変えて戦後から現在まで受け継がれているということである。

「戦前の国体」とは、万世一系の天皇を頂点に戴いた「君臣相睦み合う家族国家」を理念として全国民に強制する体制であった。この体制は破滅的戦争に突き進み、惨敗した挙句に崩壊した。それは「国体」の持っていた内在的欠陥、その独特の社会構造によるものであった。1945年の敗戦に伴う社会改革によって、「国体」は表面的には廃絶されたにもかかわらず、実は再編された形で生き残ったのである。その再編劇で決定的な役割を果たしたのがアメリカである。(だから日本の右翼は一般的なファシズムではなく特異な親米右翼であり、街宣車には日章旗や旭日旗だけでなく星条旗が翻っているのである)。

戦後の天皇制の働きをとらえるためには、菊と星条旗の結合を「戦後の国体」の本質として、つまり、戦後日本の特異な対米従属が構造化される必然性の核心に位置するものとして見なければならないということである。つまり、戦後の国体は天皇制の存続の下にアメリカを天皇よりも構造的に上位に戴くかたちで形成された。天皇制の存続と平和憲法と沖縄の犠牲化は三位一体をなしており、それに付けられた名前が日米安保体制(戦後の国体の基礎)にほかならない。

「戦前の国体」が自滅の道行きを突っ走ったのと同じように、「戦後の国体」も破滅の道を歩んでいる。「失われた20年」あるいは「30年」という逼塞状態は、戦後民主主義と呼ばれてきたレジームの隠された実態が「国体」であったがためにもたらされたのである。われわれの今日の社会はすでに破滅しているのであり、それは「戦後の国体」によって規定された我々の社会の内在的限界の表れである。

対米従属の問題性の核心は、日米安保条約でもなければ、大規模な米軍基地が国土に置かれていることでも、戦後の日米間の国力格差でもない。それはドイツやフィリピンを見れば明らかである。対米従属の現状を合理化しようとする様々な言説は、ただ一つの真実の結論に決して達しないための駄弁である。ただ一つの結論とは、実に単純なことであり、日本は独立国ではなく、そうありたいという意思すら持っておらず、かつそのような現状を否認している、という事実である。

本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷である所以は、どれほど避妊しようが、奴隷は奴隷に過ぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し誹謗中傷する点にある。その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである。
深刻な事態として指摘せねばならないのは、こうした卑しいメンタリティが、「戦後の国体」の崩壊期と目すべき第二次安倍政権が長期化する中で、疫病のように広がってきたことである。

自民党政権の本質が、「戦後の国体」としての永続敗戦レジームの手段を選ばない死守であることに照らせば、戦後日本に経済的繁栄をかつてもたらした要因としての戦争に、同じレジームが再び依存しようとしたとしても、何ら驚くべきことではない。実際、そのような事態の発生に備えて、日米の軍事的協働は年々着々と深められてきたのである。

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