アニル・アナンサスワーミー著
「私はすでに死んでいる」
を読んだ。本書は、病気や障害を負った人たちが体験した特異な症状を手掛かりとして、神経学の知見をベースに精神医学や哲学の視点にも留意しつつ「自己とは何か」を追求したものである。個々の特異な症例に基づくため体系的ではないが、共通する知見として身体の重要性、「予測する脳」という視点を挙げている。
コタール症候群は、「自分が死んでいる」「存在しない」という妄想を持つ。意識的自覚に深くかかわる前頭頭頂ネットワークは、外的自覚のネットワークと内的自覚のネットワークで構成される。後者の代謝が低下し、前頭葉の他の領域まで拡大すると、自己感覚が大幅に失われ死んだと思いこむ。
アルツハイマー病患者は、認知機能がどんなに低下しても、身体に埋め込まれた前認知的、前内省的な身体化された自己性によって、世界とかかわることができる。大脳皮質が萎縮して認知が衰えたとしても、脳と身体の連合体には自己性を蓄積し、発揮し続けているところがある。
身体完全同一性障害は、自分のものと感じられない手足などの身体の一部を切り落としたいという、強烈な観念に取りつかれる病気である。脳が身体を調整するためには身体をモデル化する必要がある。それが自己モデルであるが、意識的自覚に入ってくるのは自己モデルの部分集合だけ(現象的自己モデル)で、身体状態は主体的に意識されたり、気づいたりしない。自己が現象的自己モデルの中身とすれば、それは主観的なアイデンティティというだけでなく、自分と非自分を区別するよりどころである。現象的自己モデル内での四肢の表象が不充分で私有性を持ち損ねたために、自分の手足だと思えず、警戒レベルが上がりっぱなしになる。
統合失調症の一級症状(幻聴、思考吹込み、被支配妄想)は、自己主体感の阻害が背景にある。自己主体感は、概念になっていない(思考ではなく本能的な)「自己主体感覚」と、認知に関わる「自己主体判断」に分かれる。前者は、運動信号のコピーとコンパレーターが予測と実際の動きを照合して生み出すのに対し、後者は環境及び自分の信念の認知的分析にもとづいている。統合失調症患者は、自己主体感覚が持ちにくく、それを補うために自己主体判断に頼ろうとする。後者のよりどころは、視覚フィードバックなどの外的要因なので、自分自身のことなのに、まるで外から経験したような感覚になる。
離人症は、精神活動に付随するはずの感情や感覚が不在の状態をいう。離人症性障害の症状は、身体的な実感の喪失、主観的情動の麻痺、主観的想起の異常、現実感の喪失などである。脳は身体の恒常性を保つために、体内外の状況を表象に描き出し地図にして心的イメージ(原自己)を生み出す。原自己は原初感情を生成する。中核自己は、対象との相互作用が原自己とどんな関係にあるかを把握する。離人症性障害は、自己意識が言語以前の最も深いレベルで広く阻害された状態である。
自閉症は、極度の内閉的な孤独志向があり、外界からのあらゆるものに無関心で、可能な限り無視し、遮断する。右側頭頭頂接合部の働きが精神状態の表象に特化しているが、自閉症ではここがうまく機能しておらず、他者との社会的な関係作りが難しくなる。また、腹内側前頭前野と腹側運動前野や体性感覚皮質など、基本的な身体表象に関わる領域の接続が悪い。これらのことから、自閉症は、自分の身体と身体が受け取る感覚刺激を正確に知覚できず、身体自己意識が混乱し、感覚処理にも直接的な影響が出て、心の理論といった高次処理もおかしくなっている可能性がある。
このほか、ドッペルゲンガーや体外離脱、恍惚てんかんについての記述がある。