ハーバート・フーバー著
「裏切られた自由(下:)」
を読んだ。本書は、第31代アメリカ大統領フーバーが第二次世界大戦の過程を詳細に検証したものである。他国の戦争に不干渉、中立主義であったアメリカが、どのようにして対独、対日の戦争に参戦していったか、そして戦後処理をどのように進めたかを詳述している。
下巻では、主として米英ソによる戦後処理の進め方の問題点が述べられている。米英の対ソ融和策によって、ポーランド、中国、朝鮮がソ連によって共産化され、自由社会が失われていった。対ソ融和策は、左翼思想に親近感を持ち、政権維持を優先するルーズベルトと、英帝国の利権維持を優先するチャーチルによって進められ、スターリンがそれを世界共産化に利用した。米政権には共産主義信奉者が多数入り込んでおり、ソ連に有利な政策の立案、計画、遂行を行うよう政権に仕向けた。
テヘラン会談で、ルーズベルト、チャーチル、スターリンは、東部ポーランドのソ連への割譲と西部ポーランドにソ連傀儡政権を作ることを秘密裏に決めた。ポツダム会談では、東部ポーランドのソ連併合の承認、東部ドイツ領を西部ポーランドに移管、西部ポーランドに成立した共産主義者政権の承認がなされ、ポーランドの新暫定政権の中での民主主義勢力はわずか二つの閣僚ポストを得ているにすぎず、実質は共産主義政権であった。
中国は、蒋介石の国民党とソ連が支援する毛沢東の共産党が争っていたが、ルーズベルトとチャーチルは対ソ融和策により毛沢東の共産党を支援したため、蒋介石の国民党は次第に追い詰められていった。1945年、ルーズベルト、チャーチル、スターリンが秘密の極東合意に調印した。これが自由中国の終わりの始まりであった。
米英ソ三国首脳は、ドイツ降伏後にソ連が連合国側として対日戦争に参戦することで合意した。参戦条件は外モンゴルの現状維持、日露戦争で失われたロシア利権の回復、千島列島のソ連への割譲である。
日本降伏の二日前にソ連軍は北から朝鮮に侵攻し、日本の降伏文書受諾を策した。米軍はフィリピンと沖縄から朝鮮南部に侵攻した。両軍関係者は、北緯38度線を管理境界線にすることで合意した。現在も朝鮮半島は休戦状態から脱していない。
ルーズベルトは、徹底的な対日経済制裁で日本を追い詰め、無謀な真珠湾攻撃をさせることで国内の厭戦気分を払拭し、報復的な対日参戦を実現した。また、事前に真珠湾攻撃を察知していたにもかかわらず、現地司令官に危険性を連絡せず被害を拡大させた。終戦間際では、三度にわたる日本の和平申し入れを無視し、トルーマンは実質的には降伏していた日本に、終戦に対しては無用の原爆投下を行い、一般市民を大量虐殺した。
こんなアメリカになぜ70年間も隷従し、占領時と大差のない、主権国家にしては屈辱的な安保条約・治外法権的な米軍地位協定を甘受しなければならないのか?原爆投下に対してアメリカに謝罪や賠償をなぜ要求できないのか?強い憤りを覚える。
安保条約の条文に破棄通告や改正協議ができることが明記されているにもかかわらず、自民党政権は戦後70年間ただの一度も、対等な条約に改正する努力をしなかった。岸信介の安保改正が表面的な体裁をつくろっただけで、旧安保となんら変わらないインチキだったことは自明である。これを放置して改憲を声高に唱えるのは主権国家として無責任である。