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 渡辺正峰著「脳の意識 機械の意識」「脳の意識機械の意識」を読んだ。意識の問題の本質は、脳の客観と主観の間の隔たりにある。「説明のギャップ」、「ハード・プロブレム」と呼ばれるものである。脳の客観とは神経回路網の振る舞い、すなわち電気的活動であり、三人称的に観測されるものである。脳の主観とは、私たちの意識、そして感覚意識体験である。ここでの「私たち」とは、先の神経回路網に他ならない。主観とはつまるところ、神経回路網が一人称的に感じていること以外の何物でもない。

最大の問題は、我々が、客観と主観を結び付ける科学的原理を一切持たないことだ。片や神経回路網を第三者的に観測して得られる物理現象、片や、その神経回路網になり切り、それが一人称的に感じていること。この両者を因果的に説明する術を我々は持たない。従来科学は客観の中に閉じており、客観と主観を結び付けることを宿命づけられている意識の科学は、既存の科学から逸脱する。

そこで、意識の自然則を提案する。自然則とは、他の法則から導くことのできない、科学の根幹を成す法則である。万有引力の法則や光速度不変の原理などがそれにあたる。なぜという問いに答える必要がなく、また、答えることもできないものである。ただし、提案された自然則は検証可能性がなければならない。意識の自然則の実験的検証は、意識を宿すことがわかっている脳を用いて行うことになるが、本質ではない余計な要素を取り除くことに大きな制約がある。

機械による人工意識は、客観的な外部観測や中身の分析で意識の検証をするのが困難なので、自らの脳に機械を接続し、自らの意識をもって機械の意識を見極める。そこから感覚意識体験が生じれば、機械に意識が宿ったと結論づけることができる。機械に意識が宿ったときのみ、感覚意識体験が生じるようなうまい接続条件を求める「人工意識の機械・脳半球接続テスト」を提案する。自身の片方の脳半球を機械の半球に置き換え、一つの統合された意識、すなわち、統合された左右視野が出現するかを自らの主観をもってテストする。それが出現したら機械が意識を宿し、それが残った脳半球の意識とリンクしたことになる。

神経アルゴリズム、とりわけ生成モデルを意識の担い手と考える利点は、「人工意識の機械・脳半球接続テスト」に合格したことである。すなわち、生成モデルが「意識の自然則」の客観側の対象であると言える。「生成」とは高次の活動を元に、低次の活動の「推測値」を出力することで、この推測値と感覚入力由来の低次の活動を比較し、その誤差を算出しそれを道いて高次の活動を修正する。生成モデルは、生成過程などを通して情報処理を進めるといった客観的な側面と、その生成過程に沿った感覚意識体験を発生させるといった主観的な側面を併せ持つ。

機械への意識の移植を完遂する手順として、先ずは、機械の意識と脳の意識とを接続する必要がある。機械の脳半球と生体脳半球を接続し、長期間つなぎっぱなしにすることで、機械と脳二つの半球にまたがって一つの感覚意識体験が生まれれば、最大の難関、いわゆる意識のハードプロブレムはクリアされたことになる。残るは、脳から機械への広義の記憶の転写である。これはイージープロブレムに分類されるが、技術的には極めて困難である。広義の記憶は、脳の複雑かつ膨大、そして微細なハードウエア構造と完全に一体化している。非侵襲の脳計測装置では不可能であり、侵襲的な方法でも数千兆の神経細胞間の結合関係を計測するには、非現実的な膨大な時間を要する。

 ハーバート・フーバー著「裏切られた自由(下:)」を読んだ。本書は、第31代アメリカ大統領フーバーが第二次世界大戦の過程を詳細に検証したものである。他国の戦争に不干渉、中立主義であったアメリカが、どのようにして対独、対日の戦争に参戦していったか、そして戦後処理をどのように進めたかを詳述している。

下巻では、主として米英ソによる戦後処理の進め方の問題点が述べられている。米英の対ソ融和策によって、ポーランド、中国、朝鮮がソ連によって共産化され、自由社会が失われていった。対ソ融和策は、左翼思想に親近感を持ち、政権維持を優先するルーズベルトと、英帝国の利権維持を優先するチャーチルによって進められ、スターリンがそれを世界共産化に利用した。米政権には共産主義信奉者が多数入り込んでおり、ソ連に有利な政策の立案、計画、遂行を行うよう政権に仕向けた。

テヘラン会談で、ルーズベルト、チャーチル、スターリンは、東部ポーランドのソ連への割譲と西部ポーランドにソ連傀儡政権を作ることを秘密裏に決めた。ポツダム会談では、東部ポーランドのソ連併合の承認、東部ドイツ領を西部ポーランドに移管、西部ポーランドに成立した共産主義者政権の承認がなされ、ポーランドの新暫定政権の中での民主主義勢力はわずか二つの閣僚ポストを得ているにすぎず、実質は共産主義政権であった。

中国は、蒋介石の国民党とソ連が支援する毛沢東の共産党が争っていたが、ルーズベルトとチャーチルは対ソ融和策により毛沢東の共産党を支援したため、蒋介石の国民党は次第に追い詰められていった。1945年、ルーズベルト、チャーチル、スターリンが秘密の極東合意に調印した。これが自由中国の終わりの始まりであった。
米英ソ三国首脳は、ドイツ降伏後にソ連が連合国側として対日戦争に参戦することで合意した。参戦条件は外モンゴルの現状維持、日露戦争で失われたロシア利権の回復、千島列島のソ連への割譲である。

日本降伏の二日前にソ連軍は北から朝鮮に侵攻し、日本の降伏文書受諾を策した。米軍はフィリピンと沖縄から朝鮮南部に侵攻した。両軍関係者は、北緯38度線を管理境界線にすることで合意した。現在も朝鮮半島は休戦状態から脱していない。

ルーズベルトは、徹底的な対日経済制裁で日本を追い詰め、無謀な真珠湾攻撃をさせることで国内の厭戦気分を払拭し、報復的な対日参戦を実現した。また、事前に真珠湾攻撃を察知していたにもかかわらず、現地司令官に危険性を連絡せず被害を拡大させた。終戦間際では、三度にわたる日本の和平申し入れを無視し、トルーマンは実質的には降伏していた日本に、終戦に対しては無用の原爆投下を行い、一般市民を大量虐殺した。


こんなアメリカになぜ70年間も隷従し、占領時と大差のない、主権国家にしては屈辱的な安保条約・治外法権的な米軍地位協定を甘受しなければならないのか?原爆投下に対してアメリカに謝罪や賠償をなぜ要求できないのか?強い憤りを覚える。
安保条約の条文に破棄通告や改正協議ができることが明記されているにもかかわらず、自民党政権は戦後70年間ただの一度も、対等な条約に改正する努力をしなかった。岸信介の安保改正が表面的な体裁をつくろっただけで、旧安保となんら変わらないインチキだったことは自明である。これを放置して改憲を声高に唱えるのは主権国家として無責任である。


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