中島岳志、島薗進共著
「愛国と信仰の構造」
「愛国と信仰の構造」を読んだ。本書は、現代日本の右傾化の背後にあるものを愛国と信仰を軸に分析し、戦前のような全体主義がよみがえる危険性が高まっていると指摘している。
近代日本150年を第二次世界大戦を境に、明治維新からの75年と敗戦からの75年に区切り、さらに各75年を25年ごとに区切って各々第一期、第二期、第三期とし、この三つの期を戦前と戦後で並べて比較すると、この三つの時代が並行するように繰り返しているように見える。
1868年の明治維新から1894年の日清戦争までの25年が戦前の第一期で、日本は富国強兵にまい進し、欧米の仲間入りを果たそうとした。終戦の1945年からの25年が戦後の第一期で、戦後復興を目標にして高度経済成長を達成した。戦前の第二期は日進日露戦争に勝ち、「アジアの一等国」となり第一次大戦景気に沸いた。戦後の第二期はジャパン・アズ・ナンバーワンでバブル景気に沸いた。しかし、どちらの時代も第三期に入ると、社会基盤のもろさが表立って見えてきて、国内全体が言いようのない閉塞感に苦しむようになる。
戦前の第三期は戦後恐慌で始まり、昭和維新運動を経て全体主義が跋扈し太平洋戦争へと至る。戦後の第三期はバブル崩壊の影響の深刻化や、阪神・淡路大震災、オウム真理教事件、東日本大震災などにより社会の基盤の崩壊に直面する。まだ戦争には至っていないが秘密法や戦争法、共謀罪法など戦前の第三期と同様の全体主義への道を繰り返しているようだ。同じ失敗を繰り返さないためには、明治にさかのぼって日本のナショナリズムと宗教の結びつきをとらえ直す必要がある。
明治維新の重心は、儒教から派生した尊王の政治の希求と古代律令制の日本版である神道国家への回帰にある。国学の影響で、天皇と人民の一体化(一君万民)という古代回帰のユートピア主義が右翼思想の源泉になっていった。また、自由民権運動を経由して「国民主権」と「天皇の大権」の一致を目指すナショナリズムと合流し、昭和維新という国家改造運動を生み出した。これら二つの潮流は、戦前の仏教、とりわけ親鸞主義や日蓮主義と深い関係を結んでいった。
明治政府の下、皇室祭祀の拡充と全国各地の神社の組織統合が進み、伊勢神宮を頂点にし神社神道と呼びうる一大祭祀組織が形成され、これが国家神道の重要な構成要素となった。第一期の終わりごろ発布された教育勅語が、学校での行事や集会を通じて、「国体」「皇道」や国家神道を国民自身の思想や生活に強く組み込んでいった。そして国家神道は宗教より一段上に立つものとして、諸宗教をそこに組み込んでいった。
安倍政権では、自民党の政治基盤である神道政治連盟や日本会議が、国家神道的なものを強化する動きが強まっている。敗戦時GHQが解体したのは国家と神社の結びつきで、皇室祭祀は大方維持された。国家神道の主要な構成要素は神社組織ではなく、重要なのは皇室祭祀と不可分の天皇崇敬であった。現在の日本でも皇室祭祀は維持され、天皇の存在感は大きい。つまり、国家神道は現在の日本にも残っている。皇祖である天照大御神を祀っている伊勢神宮の人気を見れば、皇室と結びついた神道は、現代の民衆に対しても影響力を及ぼしている。
戦前第三期の終わりの天皇機関説事件で、立憲主義は完全に死に絶え、国体明徴運動から全体主義へ、戦争へとなだれ込んだ。戦後三期の終わり近くの安保法制の強行採決は、戦前の第三期と同様に立憲主義の危機が再来したことを明らかにした。
明治維新の時に埋め込まれた権威主義的な体制が、戦後の体制の中にも受け継がれており、戦後はまだそこから脱却しきれていないから、立憲主義の危機が再来した。戦後70年余り、明治維新以後の日本の政治体制の弱さや問題点が、しっかり自覚できていないから、「憲法を改正して明治の体制に戻れば強い日本が取り戻せる」というような単純な議論が、戦後の第三期に力を持ってしまった。現在の日本は、いくつかの局面では全体主義の様相を帯びている。
GHQが日本の統治をやりやすくするために天皇制を残したことが、戦後の日本を復古国家主義的な全体主義に導いてきた大きな要因ということだ。