木村朗・高橋博子著
「核の戦後史」
を読んだ。本書は、原爆投下の経緯・背景と核の戦後史の見方について重要なポイントを解説し、アメリカの公文書を元に、核戦略の核心、放射能汚染やヒバクシャに対する日米両政府の対応の実態について明らかにしたものである。
原爆神話とは、日本への原爆投下は正しかったとみせかけるため、アメリカが戦後に作った虚構である。戦後の日本政府もこの原爆神話を一度も公式に否定したことはない。原爆神話は、原爆投下の目的・動機と結果・影響の二本柱から成り立っている。原爆投下の目的・動機は、早期降伏説と人命救助説という二つの説を重ね合わせたものである。
早期降伏説とは、原爆投下は日本を早く降伏させるためで、投下がなければ日本は降伏しなかったというもの。人命救助説とは、原爆投下がなければ、アメリカ軍の日本本土上陸によってアメリカ兵に百万人以上の死傷者が出た。投下によって、犠牲になるはずの多くのアメリカ兵、日本人の命は救われたというもの。
アメリカ政府は今でも、早期降伏説と人命救助説を公式見解として掲げており、多くのアメリカ国民もこれを真実として受け入れている。しかし、戦後史の研究者の中で、現在、この見解を信じる人はほとんどいない。アメリカ国立公文書館から公開された政治家や政府高官の文書や、研究者や市民グループが、情報公開法に基づき公開させた情報から、早期降伏説と人命救助説が神話に過ぎず、虚構であることがほぼ証明できる。
アメリカは、日本が国体護持(天皇制の容認)だけを条件に降伏したがっていることを知っていた。日本に天皇制維持の保証を与えれば、平和的手段(対話)によって戦争を終結させることができた。しかし、原爆実験に成功したアメリカは、平和的手段を一貫して退け、軍事的手段として「海上封鎖と本土爆撃の継続」、「ソ連参戦」、「日本本土上陸作戦の実施」などを準備しながら、結局、「原爆投下」を優先した。アメリカは、軍事的な理由というよりは政治的な理由によって、「原爆投下による終戦(日本降伏)」にこだわったと思える。人体実験とソ連に対する威嚇の意味合いが強い。
また、アメリカ政府は、原爆投下前に日本上陸作戦が実行された場合、アメリカ兵の死傷者は30日間で3万一千人以下と予想しており、死傷者百万人はオーバーである。それに、原爆投下による日本人の死傷者は二十数万人だから、人命救助説も成り立たない。
日本政府は、原爆使用に対して1945年8月10日、スイス政府を通じてアメリカ政府に抗議文を伝達したが、この一回だけを除いては、一般市民の無差別殺戮についてこれまで一度も抗議していない。アメリカは原爆による残留放射能の存在を認めなかった。それは、「不必要の苦痛」を与える残留放射能の存在を認めると、原爆使用は国際法違反とみなされ、使用できなくなるからである。
アメリカは戦後、広島、長崎に調査団を派遣して被爆地を調査したが、残留放射能の影響を否定した。
日本は、1988年にアメリカと結んだ日米原子力協定(第十二条四項)によって、アメリカの同意なしには原発を止めることができない。地震大国で54基の原発を持つ世界3位の原発大国になったこと、また福島第一原発事故にもかかわらず原発を止められない理由の一つである。2012年に改正された原子力基本法によれば、原発の安全は、軍事戦略・防衛戦略(端的には核武装)も考慮の対象に含めて決めることになっている。