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 新規購入したノートパソコンがあまりにも重いので、OSをVistaからWindows 7に入れ替え、付属の転送ツールを使って前のXPデスクトップPCから全3.9GBを転送しました。LaTEXそのものは転送されていましたが、LaTEX統合環境ソフトWinShellは入っていませんでした。

そこで前のXPデスクトップPCのときに使ったCDでWinShellをインスト-ルしようとしたら、「このOSは対応していません」というメッセージが出て、インストールできないのです。やむなくネット検索でWindows 7対応のWinShellダウンロードサイトを探し、恐る恐るインストールしたところ設定も旨くいって使えるようになりました。

LaTEXで書いた原稿ファイルやdviout、gsなどはすべて転送されていたので、これで前のXPデスクトップPCと新規ノートパソコンの両方で執筆・編集作業ができるようになり、原稿ファイルのバックアップも兼ねることができて一安心です。やれやれ。

 ネット記事によると、新たな販売促進の方法の一つとして、書籍の発売前に「電子版」をネットで無料配布するという「フリー・キャンペーン」が10万部を超えるヒットを生み出したという。
インプレスジャパンの『できるポケット+ クラウドコンピューティング』(819円)は、会員登録して電子書籍の利用意向に関するアンケートに回答すれば、新刊の全文を収録したPDFを無料で閲覧できる。12日夜までに約1800回ダウンロードされたという。

「フリー・キャンペーン」は、09年11月にNHK出版が『フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』(1890円)の発売に合わせて「全文無料配布」を敢行したのが最初といえる。無料配布キャンペーンは大きな反響を呼び、わずか2日で1万ダウンロードを達成。ブログやツイッターで『フリー』の話題が広がった。それだけでなく、紙の書籍も爆発的に売れたという。11月下旬に発売されると、『フリー』はネット書店のアマゾンで快調に売れ、タレント本やコミックと総合1位を争った。東京の大型書店でもビジネス書の1位にランクイン。書店によっては総合1位になることもあったという。

電子版の無料配布を宣伝活動と考えれば確かに有効な方法ですね。内容や分量によっては適さないものもあるでしょうが、選択肢の一つとして良いことだと思います。

 SF短編集の原稿第12弾です。原稿に対するご感想をお寄せ下さい。

「オメガ計画」・・・・・・・・・・・十合ヒロシ
 キャラハンは、オメガ計画室のデスク上に拡げたレポートを、食い入るように見つめていた。その生成脳は、光放射に対して共鳴周波数の極近傍においてのみ鋭く高い応答を示していたのだ。それは脳の微小導波管における意識―量子場共鳴が強くかつ極めてコヒーレントで、単一周波数の高エネルギー共鳴波動が微小管外へ転移したことを示している。従って、この生成脳の微小導波管の構造及び遺伝特性を調べれば、意識―量子場共鳴の転移機能を強化する人工遺伝子設計に重要な示唆が得られる筈である。また、生存を脅かすような環境刺激によっていずれの脳も、閾値よりかなり低強度の磁場で光放射を励起していた。これは微小導波管というハード面だけではなく、知覚-意識というソフト面の強化の必要性を示していた。

オメガ計画室の窓際にある自分の席で、デスク上に山のように積まれたレポートを次々と読み進みながら、キャラハンの目は輝きを帯び、頬は自然と緩んでくるのであった。ここ数ヶ月でオメガ計画は急速に進展し、重要な成果が次々に出てきてキャラハンが提示した研究課題はほぼクリアされた。シェフィールドは過酷環境実験によって、共鳴転移機能が強化された意識脳を育成、セルダンは量子場特性解析によって、共鳴転移ポテンシャルを最大化する微小管の最適構造寸法を算定、スノーは増殖させた多数の微小管の遺伝特性を調べて、最適構造寸法を発現する酵素蛋白群及びそれらを制御する遺伝子群の種類と数を決定した。これで意識―量子場共鳴の転移機能を強化する人工遺伝子を設計することができるわけで、いよいよキャラハンの出番がきたのである。

キャラハンはパッカードと共同開発した遺伝子設計支援プログラム「ジーンデザイナー」を起動した。これは対話形式で入力されたマクロコードに基づいて、遺伝子を構成するDNA塩基配列を生成、変換、複写、切断、挿入、接合するもので、膨大な設計作業を支援する強力なソフトであるが、DNA配列に操作を加えるには酵素系の生化学に関する的確な知識が要求されるので、誰にでも使えるわけではない。モニター画面にはコード入力を促す点滅カーソルが表示されている。キャラハンはヒトゲノムデータバンクにアクセスし、メニューから脳―神経細胞―星形細胞―軸索―微小管を選択してデータのダウンロードコードを入力した。

無菌室はつめかけたオメガ計画の関係者でごった返し、ムンムンする人いきれでエアコンが効かないほどであった。実験台の上に置かれた釣り鐘形の特殊強化ガラス容器の中では、人工遺伝子を組み込まれた新しい生成脳が6個、循環液に包まれてゆらゆらと揺れていた。最前列の特等席にはジェンテック社のランガー、ニューマン、主要研究者のキャラハン、スノー、シェフィールド、セルダン、パッカードらの顔ぶれがあった。

チラッと腕時計に目を走らせたニューマンは、軽く咳払いをしてマイクを握った。
「皆さん、おはようございます。ご多忙中のところ多数お集まり戴きましてありがとうございます。それでは定刻になりましたのでオメガ計画成果発表会を開始致します。先ず、キャラハン博士から成果の概要を説明して戴きます」
ニューマンからマイクを受け取ったキャラハンは、満面に笑みを湛えながら自信にあふれた声で話し始めた。
「キャラハンです。本日ここに念願の成果を発表できる運びになりましたことを、関係者の皆様方とともに喜びたいと思います。オメガ計画はクローン脳の生成を初め、意識―量子場共鳴転移の検証、微小管の構造及び遺伝特性の把握、並びに意識―量子場特性の理論解析、過酷環境での脳の意識ポテンシャルの強化など数々の重要な成果を総合して、遂に強力な意識―量子場共鳴転移を生じさせる最適構造の微小管を発現する人工遺伝子を生みだしたのであります。皆さんがご覧になっている6個の生成脳にはこの人工遺伝子が組み込まれ、意識ポテンシャルの強化訓練も実施済みであります。それでは、これらの生成脳が生存環境の悪化に対してどのようにふるまうかを示すテストをお見せしたいと思います。シェフィールド博士お願いします」

シェフィールドは、マイクを握ると参会者をぐるりと見渡しながら、テスト方法を説明した。
「ご存じのように、生成脳の生存環境は人工子宮システムによって制御されています。一例として、循環液の温度を適正範囲から強制的に逸脱させた時の生成脳の挙動をテストします。温度データは各所に設置したモニターの画面に表示されますので、お近くのモニターをご覧ください。それと温度レベルを音階に対応させてスピーカーでながしますので、モニターが見れない方は音で温度変化を判断してください。循環液の温度は通常21℃±3℃に制御されていますが、テストではこれを40℃±5℃に強制変更します。それでは実験を開始します」

シェフィールドが人工子宮の制御コンソールの前にいる助手に合図すると、助手は手慣れた指裁きでキーボードを手早く操作した。途端にくぐもったピアノの音に似た合成音が室内に響きわたった。
「ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、……」
一方モニター画面には温度―時間チャートが表示され、白い上下限線の間で21℃近辺を変動推移する赤い線が見られた。やがて赤い線はじりじりと上昇し、上限線を越えてなおも上昇し続けていった。それにつれて室内の合成音も高音域に移っていった。
「レッ、レッ、レッ、……ソッ、ソッ、ソッ、……」
赤い線が35℃のレベルに到達したとき、奇妙なことが起こった。設定温度まで後まだ5℃を残しているにもかかわらず、赤い線は35℃レベルで足踏みを始め、それ以上は上昇しようとしないのであった。合成音も同じ音階をしつこく繰り返していた。
「シッ、シッ、シッ、シッ、シッ、シッ、シッ、シッ、……」
しばらくその状態が続いた後、更に奇妙なことに赤い線は降下し始め、じりじりと白い上限線に近づいていったのである。
「ソッ、ソッ、ソッ、……、レッ、レッ、レッ、……」
そして遂に上限線を横切って元の21℃近辺を変動推移するようになった。
「ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、……」

信じられない現象を見せられた参会者の間からどよめきが起こり、口々に自分の思いをぶちまける人々の声が合成音と重なって、狭い室内にワーンと反響した。
「お静かに願います。これは制御不良ではありません。加熱器の消費電力は制御信号に応じてどんどん増大しています。計測機器も異常ありません。ただ実際の温度が設定値まで上昇しないのです」シェフィールドが言った。
「すると、生成脳が温度を下げていると言うのか! しかし、どうやって?」
後ろの方にいた参会者の一人が大声で言った。その質問を予想していたシェフィールドは、用意していた回答を淡々と述べた。
「現象的には加熱器の熱エネルギーが循環液に伝達されないと言うことです。ハード上は熱伝達の阻害要因がないので、生成脳が熱伝達を阻害していると思われます。つまり、生存の危機を感じた生成脳が、加熱器から循環液配管または配管から液への熱輻射、及び熱伝導の生起確率を量子レベルで減少させていると思われます」
「信じられん。マクロな事象の生起確率を操作できるなんて……」

やりとりをじっと聞いていたキャラハンがその時割り込んで発言した。
「お気持ちは分かります。しかし意識ー量子場共鳴の遷移領域で、事象の生起確率が共鳴状態に応じて変化することは、理論的に解析できるのです。オメガ計画はそれを現実化することを目的としています」
「もしそれが本当なら、それは制約を課さないと極めて危険なものになるんじゃないですか?」別の参会者が言った。
「生成脳は生存環境が危険な状態になったとき、それを回復するためにしか意識発動しません。従って危険はないと考えます」キャラハンが答えた。
「フム、そうすると生成脳は何の役に立つんですか? その応用面のことですが…」
「そうですね…、未だ先のことになりますが、例えばバイオプラントや火星植民地の環境維持システムで、その制御パラメータと生成脳の環境因子を相関させておけばロバスティックな制御システムを構成できるでしょう」
「なるほど。ところで開発された人工遺伝子はクローンや人間にも適用されるんでしょうか?」
「フム、難しい問題ですね。私個人としてはそうしたいんですが、それを決めるのは私ではなく議会や政府、いや国民の総意ではないでしょうか?」キャラハンが歯切れの悪い答えを返した。

そろそろ予定の時刻が近づき、質疑も出尽くしたと判断したニューマンはマイクを取って発表会の終了を宣した。
「皆さん、まだまだ議論はあろうかと存じますが、そろそろ予定の時刻になりましたので、本日の発表会はこれにて終了させていただきます。有り難うございました。」
参会者は興奮した口調でペチャクチャしゃべりながら、ガヤガヤと室外に出ていった。

キャラハンは、人工子宮から取り出した赤ん坊を育児ロボットの「ママ」に手渡した。「ママ」はUR社製の最新式のヒューマノイド型ロボットで、ちょっと見ただけでは人間と区別できないくらい精巧に作られている。頭蓋にはニューラルネットワークを構成する多層並列処理プロセッサー集合体が組み込まれ、UR社での出荷前の教育学習によって、育児動作に関する基本パターンが形成されている。このパターンはその後の経験学習によって更新され、最適なものに近づいていくのである。

キャラハンは、書斎でハーブ茶をすすりながら「超神論」を読んでいた。異端の哲学者ノエ・ザメルが唱える超神哲学を開陳した、全三巻からなる膨大な著作である。第1巻は、生命進化の必然性と波動意識の発現、第2巻は波動意識を中核とする進化理論、第3巻は波動意識の階層理論を展開し、それに基づき人類の現階梯と未来のあるべき姿を予見したものだ。簡約すると、人間は明確な目的に基づいて自らの手で自身を改良していき、宇宙で最高位の存在にまで階梯を上り詰める使命を有するというのである。キャラハンが、10年前生成脳の応用研究に限定されたオメガ計画と決別し、人間への適用をもくろんだのは、この「超神論」の影響が大きかった。

ノヴァは、キャラハン開発の人工遺伝子を組み込んだクローン人間である。出生時の遺伝子検査で欠陥がなく、かつ最優良であることから遺伝子カーストの最高位である「パーフェクト人」として登録されている。5歳の時、手が滑って床に落ち砕け散ったガラスコップを、「ママ」が手を伸ばすよりも早く、じっと見つめるだけで入っていたミルクとともに元に戻したことがあった。また、千ピースのジクソーパズルを楽々と仕上げて、キャラハンをうならせたこともある。学校に行くようになると、いじめっ子が階段から転げ落ちたり、プールで溺れたりする事件が頻発したため、疫病神のように気味悪がられて誰も近寄らなくなった。授業はノヴァには易しすぎてつまらないようで、ネットや電子書籍で勉強した大学レベルの知識をもとに、教師に意地悪な質問をしていやがられていた。このような状況をキャラハンは、憂慮とは逆の満足をもって受け止めていた。なぜならノヴァを出発点として、人類の現階梯を一段高めるという自分に課した使命が果たせそうだからである。

主席行政官室で、白いデスクの上に広げたレポートを読んでいるジェンセンの眉間には深い皺が刻まれていた。公安局は期待した成果を上げていないばかりか、袋小路に入り込んでいるようだ。侵入した情報部員が3名も痕跡さえ残さず立て続けに消えるのは尋常ではない。6年前にスノーから連絡があって以来、キャラハンの動きにはそれとなく注目していたが、やはり人工遺伝子を組み込んだ自分のクローンを作り、意識―量子場共鳴機能を発現させたのに違いない。情報部員は事象の生起確率を操作するようになったクローンに消されたと考えればすべて辻褄が合う。クローンがそんなに強力なら軍でも出動させないと駄目だろう、いや軍でも駄目かも知れない。それは国家にとって大きな脅威になるから放置できない。軍の研究所は確率操作クローンを生成できなかったのに、奴はどうやってクリアしたんだろう……。

遺伝子検査法を中核とする優生政策は社会に定着し、難民流入問題は解決されたかに見えたが、第三世界の人口増加と窮乏化は益々エスカレートして、先進諸国との軋轢は先鋭の度を増していた。昨今では遺伝子組み換えの生物兵器を大量生産し、その使用を仄めかせて難民受け入れを迫る国々が増加しており、これに対向するため、先進諸国は核兵器による報復をちらつかせることでバランスを保っているが、いつ何時それが破錠するか知れたものではないのである。もちろん、政府は生物兵器による攻撃を受けた場合を想定して、それを無力化するために国立衛生研究所を中核とする防疫体制を敷いているが、それで完全に阻止できる保証はない。それがジェンセンの頭痛の源泉であった。事象の生起確率を操作できるキャラハンの人工遺伝子は、防疫体制が破れた時の最後の砦としてジェンセンが密かに目を付けていたのである。軍が失敗した確率操作クローンの生成には、キャラハンの協力が必要不可欠であった。

キャラハンが書斎でメールをチェックしていると、公安局情報部長からの暗号メールに目が止まり、こみ上げてくる不安を抑えながら開封した。本文は"添付ファイルをご覧ください"としか書かれておらず、不審に思いながら添付ファイルを開くと、公安局長の署名入りでキャラハンの協力を強要する文書があった。一瞬心がぐらついたが、協力内容にノヴァの国家管理が含まれているのを見て怒りがこみ上げてきた。拒否したときの報復攻撃に対抗できるか確認する必要があると思ったキャラハンは、書斎を出て学習室に入った。
「ノヴァ、ちょっと話があるんだが……」
キーボードの手を止めて振り向いたノヴァは、微かな笑みを浮かべて言った。
「なんだい?」
キャラハンはノヴァの横のソファーに座り、暫しためらっていたがやがて意を決したように言った。
「実は、お前に隠していたことがある。お前の出生のことだが……」
「そのことなら知ってるよ、ディスクで見たから」
ノヴァは気にする様子もなくあっさりと言った。キャラハンは拍子抜けがしてすっかり気持ちが軽くなるのを覚えた。
「そうか、それならいい。話はもう一つあるんだ。今見たら公安局からメールがきていた。確認したいことがあるんでちょっと書斎へきて見てくれんか?」
「いいよ」
二人は書斎に戻りノヴァは公安局のメールを読んだ。眼を閉じてじっと考え込んでいるノヴァを横目で見ながら、キャラハンは遠慮がちに言った。
「色んな武器で同時に攻撃されたら、この前のように防げるかな?」
目を開けたノヴァは皮肉な笑みを浮かべてあっさりと答えた。
「全部は防げないだろうな」
危惧が的中して、キャラハンは不安が高まってくるのを抑えられなかった。
「じゃ、どうする? 軍に協力するしかないのか?」
ノヴァはキャラハンをじっと見つめながらきっぱりとした口調で言った。
「いや、予定より少し早いけど明日引っ越すことにするよ。パパは貴重品を車に詰めといてね。ぼくはパパの秘密ディスクをネットにアップロードするから」
「なんだって! そんなことをしたら世界中で確率操作クローンが作られて……」
続けようとしたキャラハンは、突然それが大変動をもたらすとしても、人類の進化階梯を押し上げるという自分の使命を達成する近道だと悟って沈黙した。その様子を面白そうに見ていたノヴァが静かな声で言った。
「贈り物をどう使うかは受け取った人々に任せればいいと思うよ」
「フム、人類の選択ということか? ところで、引っ越し先はどこなんだね?」
「それはぼくに任せてよ、暖かくてとても良いところだよ」

 SF短編集の原稿第11弾です。原稿に対するご感想をお寄せ下さい。

「ニューロゲン」・・・・・・・・・・・十合ヒロシ
 主席行政官のジェンセンは、解読された暗号メールを食い入るように見つめていた。これでやっと難民対策を強力に推進できる。秘密裏にバイテク各社の研究開発を探らせていたが、こんなにぴったりしたものが出てくるとは、神に感謝を捧げたいくらいであった。管轄下の公衆衛生局に、ジェンテック社の新製品の認可手続きを簡略化するよう指示することは容易であった。

ランガーは、社長はじめ全重役が出席する製品審議会で「シナプス」プロジェクトの成果報告を行い、遺伝子ハンターが地底から持ち帰った「驚異の遺伝子」の製品化を提言した。特許権取得、市場規模、利益率など二、三の質疑応答があったが、ここ数年の業績低迷を打破する強力な新製品を模索していた経営陣は全員一致で賛同し、製品化が決定された。製品開発室に戻ったランガーは直ちに部下を召集し、公衆衛生局への新製品の認可申請手続きを急ぐよう指示した。

一ヶ月後、公衆衛生局から製品販売を認可するとの証明書が送達されてきたのを見て、ランガーはレスポンスの早さに驚いた。従来は申請から認可まで早くても半年はかかっており、おまけにこまごまとした認可条件がついていたのに比べると、一切の条件なしで即認可というのは異例であった。ランガーは、何か見えざる手に動かされているように感じて背筋にゾクッと震えが走った。

営業・販売部門は、ネット及びマルチメディアを駆使した巧妙なPR活動、およびノーベル賞学者のキャラハンを主役とする巡回キャンペーンを展開し、新製品「ニューロゲン」のイメージ浸透を図った。キャラハンのカリスマ性もあって巡回キャンペーンは狙いが的中し、行く先々の会場では入りきれない群衆が周辺の街路に溢れて、交通整理の警官隊まで出動する有様であった。

ネットや科学雑誌には「驚異の遺伝子」挿入マウス「アルジャーノン」の迷路探索における驚異的な認知能力が披露され、マスコミにも大きく取り上げられて職場や家庭での話題の中心になった。しかし、高額の費用負担と一週間程度の入院生活を強いられることから、初めの頃はアルツハイマー等の脳障害患者の治療に使われるくらいであった。それがオリンピック選手やプロスポーツの選手が使うようになり、やがて政治家、弁護士、企業経営者、科学者などの社会の上層部に広がってくると、臨界に達した核反応のように雪崩を打って社会全体に拡大していったのである。

「ニューロゲン」は生産が追いつかないほどの爆発的な売れ行きを示し、ジェンテック社創業以来の大ヒット商品になった。売上高は二次曲線的に増大し、換算すると3ヶ月後には国内人口の30%近くまで浸透したことになるのであった。誰もが人より優位に立ちたいと思っているのだ。この調子でいくと半年足らずで国民全員に拡がる勘定になる。成功に気をよくしたキャラハンは、「ニューロゲン」開発研究に関する著作を出したり、マスメディアからのインタビューや各種団体の講演依頼に積極的に対応し、かねてからの持論である「遺伝子改良による理想的生物への進化」を吹聴して廻った。

白一色の主席行政官室で、パソコン画面のニューロゲン浸透曲線を見ていたジェンセンは、いよいよ機が熟してきたなと思った。これまで流入を規制する適正な理由がないため、十分な成果を上げられず苦しんできた難民流入規制法に、明確な根拠を与えることができるのだ。それもニューロゲンが国民の80%にまで浸透した今では大きな反対もなくできそうである。ジェンセンが半日がかりで作り上げた「遺伝子検査法改正法案」の骨子は、国内居住者及び居住希望者に対する遺伝子検査の合格基準として、従来の法定欠陥遺伝子に関する規定以外にニューロゲン遺伝子の保持規定を追加し、これを満たさない者には断種処置を義務づけるというものであった。

国会審議では野党から、本法案は社会の底辺層に対する差別政策であり、国がニューロゲン遺伝子取得費用を大幅に負担する施策を採らない限り、容認できないとの反対意見が出された。政府は膨大な累積赤字を抱えた現在の国家財政では、新しい財政負担を強いるニューロゲン遺伝子取得費用の捻出は不可能であると回答し、反対意見を一蹴した。野党は一斉に硬化し審議は紛糾したが、今や絶対多数政党となった政府与党は強行採決に持ち込み、賛成多数で可決させたのである。

マスメディアは改正法案の議会通過を大々的に報道し、差別政策を政府与党が強行採決したことに対して厳しく非難したが、ニューロゲン遺伝子の保持規定そのものについては否定していなかった。非保持者に断種処置を義務づけるのであれば、国がニューロゲン遺伝子取得費用の大半を負担すべきであるというのが共通的な論調であったが、例によって各分野の知識人による積極的な賛成意見と、保持規定はおろかニューロゲンそのものに対する反対意見とが入り乱れていた。

「遺伝子検査改正法」が施行された年の夏は各地で連日40℃を越す猛暑が襲い、おまけに湿度が70%近くになるという異常気象であった。ビル、工場、家屋などあらゆる建築物に設置されたエアコンはフル稼働し、電力供給が需要に追いつかずに度々停電する有様であった。エアコンから屋外に排出される熱のために、夜になっても大気温度はあまり下がらず、戸外は蒸し風呂の中のうだるような暑さが続いた。

夕闇の迫る頃、ニューポート市のスラム街の一画に5台のパトカーと1台の囚人護送用トラックが停車し、約20名の警官がばらばらと降りてきた。警官は2名一組で10チームに分かれ、薄汚れた集合住宅の一軒一軒の玄関口に立ちドアをノックした。ドアが開き住人が不興げな顔を出すと、逮捕状を見せながら、有無を言わせず連行しようとした。
「遺伝子検査法違反の容疑で逮捕する!」
「何だと!そりゃおめえらが勝手にでっち上げたもんだろうが!俺達にゃ関係ねえ!」
「つべこべ言うな!文句があったら署まできて言うんだな」
「うるせえ!とっとと帰りやがれ!」
警官を押し出してドアを閉めようとした住人との小競り合いがあちこちで始まり、大きなわめき声や物がぶつかる音が重なって辺り一帯が騒然としてきた。
何事が起こったのかと物見高い近隣の住民が一斉に戸外に出てきて、あっという間に付近一帯は黒山の人だかりができた。
「どうしたんや?喧嘩でも始めやがったか?」
「いや違う。ポリ公がいっぱいきて片っ端からしょっぴいているらしい」
「なんでや?」
「そんなこと知るかい!ポリ公から見りゃ、この地区に住んでるもんはみんな罪人なんだろうよ」
「違うんだよう、学のねえ奴らはこれだから困る。ありゃ遺伝子法違反の奴を捕まえてるんだよう」
「偉そうなことを言ってやがるが、じゃおめえは違反してねえのか?」
「わからねえ奴だな!違反しねえための遺伝子を買う金がありゃ、こんな地区に住んでるわけがねえんだよう」

バーン、パーンと銃声が続けさまに起こり、ボン、ゴーという音がしたと思うと、6本の真っ赤な火柱が立ち黒煙が舞い上がった。誰かがパトカーと護送車にガソリンをかけ放火したらしい。警官達を指揮していた警部補は携帯電話で本部に非常事態発生を通報し、事態収拾のための応援部隊派遣を要請すると、包囲している群衆に拳銃を向けて大声で怒鳴った。
「道をあけろ!命令に従わない者は射殺する!」
怯んだ群衆が退いて空けた隙間を縫うようにして、拳銃を構えた警官達が20名の男女を連行しながらやっとのことで炎上しているパトカーの前に来たとき、手に々銃を持ち血走った目をした男達が出てきて警官達を取り囲んだ。その中の一人が狂ったように叫んだ。
「俺達の仲間をはなせ!さもなきゃお前らみんな生きてここから出られねえぞ!」

応援部隊が駆けつけてきたとき、黒煙を上げて炎上しているパトカーと護送車の周りは血の海で、20名の警官全員とその倍くらいの住民の死体が転がっていた。警官隊は消防署を呼び出して消火作業を依頼し、地上に転がっている警官と住民が全員死亡していることを確認すると、警察本部に死体運搬車と清掃班の出動を要請した。

ニューポート事件の興奮が未だ冷めやらぬうちに、類似の騒乱事件が国内各地で頻発した。後のものほど規模が大きく組織的になっていき、機関銃や手榴弾はおろかどこから手に入れたのか、迫撃砲や小型ミサイルまで持ち出して警官隊を攻撃するものまで現れ、警察力ではとても収拾できない状況になってきたのである。

フロンティア市では、夏の真っ盛りに遺伝子検査法の違反地区に出動した特別機動隊の装甲トラックが、地雷に触れて爆破し、50名の機動隊全員が死傷するという事件が起きた。社会の底辺層の住民だけでこれほどの騒乱を起こせるはずはなく、テロ組織が介入しているのは明らかであった。事態を憂慮した政府は緊急閣僚会議を開き、事態収拾のための対策処置を審議した。これ以上の騒乱の拡大を阻止し迅速な収拾を図るには、果断な処置が必要であるとの国防省長官の意見に全員が賛同し、騒乱の規模に応じて軍を投入することが満場一致で決議された。

かくして軍司令部は、軍団を派遣してすべての騒乱地区を隈無く蹂躙し、抵抗する戦闘集団を壊滅させたのである。司令部の発表によると、推定死者数は軍団で約1万人、騒乱集団で約100万人であった。軍の投入によって表面的には事態は沈静化したが、社会底辺層との緊張関係は解消されず、地下に潜った活動家による非合法活動が頻発し、小さないざこざや警官殺傷事件は跡を絶たなかった。しかし騒乱と言えるほどのものは起こらなくなったのである。夏も終わりに近づき猛暑がひいて行くにつれて、激しかった感情のうねりも静まり、人々は平凡な日々の生活に戻っていった。

「サマー・ウオー」と呼ばれるこの騒乱以降優生政策は順調に進み、遺伝子検査法に基づく欠陥遺伝子の除去及び優良遺伝子の挿入、不適格者に対する断種及び強制不妊処置は社会の常識となった。
政府は国民の遺伝子管理を徹底するため、住所、氏名、年齢、性別、血液型などのデータと遺伝子セットの記号列を組み合わせた個人識別番号制度、いわゆる国民総背番号制を議会に提出した。野党はプライバシーの侵害及び国家統制の強化につながるとして一斉に反対したが、圧倒的多数を擁する連立政府与党は審議不十分のまま強行採決に踏み切り、怒号の飛び交う大混乱のうちに議会を通過させたのである。

総背番号制の施行以後、人は出生と同時に遺伝子検査に基づく識別番号が付与され、国務省の国民データバンクに登録されるようになった。識別番号は義務教育を受ける年齢になったときの入学手続きを始め、就職、結婚、買い物、医療、各種の届け出文書、葬儀等々、生活のあらゆる面で使われるようになり、次第に社会に定着していった。それに伴い識別番号の後半部にある遺伝子セットの記号列が、人間の価値を決める指標として用いられるようになった。例えば学校では遺伝子セットの類似度に基づくクラス分けが行われ、企業は雇用及び配属基準に遺伝子セットの等級を組み込み、適齢期の男女は相手の遺伝子セットを選択ポイントに加えるようになった。

このような風潮は社会の隅々にまで浸透していき、やがて社会は一種の遺伝子カースト社会へと移行していったのである。カーストの最上位は、遺伝子欠陥が皆無で、かつ「ニューロゲン」を始めとするあらゆる現存の優良遺伝子を組み込まれた超一流の科学者、政府要人、超国籍企業の経営者などのいわゆる「パーフェクト人」であり、最下位は遺伝子改良を全く受けていない宗教家、ナチュラリスト、貧困者などのいわゆる「ナチュラル人」である。これらの中間には遺伝子の完全性と優良性の程度に応じて「準パーフェクト」、「ジェンリッチ」、「ジェンプアー」、「準ナチュラル」と呼ばれるカーストがある。

ただし、昔とは違ってカーストは固定されておらず、努力して費用を稼ぎ出し遺伝子セットを改良すれば、個人識別番号の後半部が更新登録され、上位カーストに転移できることになっていた。いわゆるジーンドリームである。そのため、下位カーストの人々は努力せずにだらしなく日々を過ごす人間と見なされて蔑視の対象となったが、現実にはジーンドリームの達成率は100万分の1という極めて低いもので、成功例はマスメディアで大々的に取り上げられるほどであった。


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